2003.09.09
マクルーハン 『グーテンベルクの銀河系』
渋谷のブックファーストで、ほんとうはリチャード・ソール・ワーマンの『情報選択の時代』を買おうと思ったのだが、見当たらなくて、かわりにマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を買ってしまった。約500ページで、7500円。

いまごろマクルーハンかと言われそうだが、私はちゃんと読んだことがなかった。ちょっと読んでみたら、もう止まらないくらい面白い。

活字や印刷が人間をどう変えたか、みたいな話がずっと書いてある分厚い本なんだけど、そうやってひとことで要約してしまうと、この本の魅力は伝えられない。

私がこの7500円の重い本を即買いしたのは、この本でのマクルーハンは博学なだけではなく、なんといっても記述のスタイルがカッコよくて、いつまで読んでいても苦にならないくらい面白いからだ。一流の書き手にしか出せないグルーヴ感、「本を読んでしびれる」感じを味わうことができるのだ。

例えばこんな感じ。

<一六八三年から八四年にかけて、ロンドンにジョーゼフ・モクソンの手になる手引書 『印刷技術のすべて』が現れた。編者たちはモクソンの本が「純粋に伝統的な知識として伝えられてきた印刷技術の一端を記述したもの」であり、「いかなる言葉で書かれた手引書よりも四十年は早く、世界最初のもの」であったことを指摘している(序文七頁)。ローマを回顧するギボンのように、モクソンはどうやら頂点に達した印刷という印刷観に酔っていたらしい。同じような感情がスウィフトに『桶物語』や『本の戦争』を書かせるための刺戟となったのだった。だがスウィフトのことはさておくとして、われわれとしては話題をポープの『愚物列伝』に向け、そのなかに印刷されたことば、およびそれが行った人類への貢献についての叙事詩を探ってみることにしよう>(387ページより)

小説だろうと、学術書だろうと、この「しびれる」感じはジャンルに関係ないものだ。音楽と同じで、とにかくその作り手の力量で決まるとしか言いようがない。

私にとって、ZopeなどのWeb技術はまさに「印刷術」だ。もともとコンテンツ系の人間である私にとって、それはあくまでもコンテンツを管理・配信するための技術である。技術は手段であり、目的はコンテンツだ。

インターネット、Webというもののインパクトは、マクルーハンがこの本で扱っている活字・印刷の登場に匹敵する。私にとっては、いまこそマクルーハンが面白く、そしてリアルに読める。

それにしても、この本で次から次へと紹介・引用される面白そうな本(たぶん千冊くらいある)がバッチリ揃っている図書館でもあったら、毎日通って次から次へと読んでみたいものだが、国会図書館へでも行かないと読めないものが多そうだ。ポープの『愚物列伝』くらいなら、いまでも入手できるのかな?

新刊書店では、Jポップと同様、あいかわらず中身の薄いものが幅を利かせているが、もっと骨のある本を読みたい人も少なくないはずだ。マクルーハンが生きていて、自分の本を貸してくれるブッククラブを始めたら、月額1万円でも会員になりたい(安すぎる?)。

この『グーテンベルクの銀河系』でのマクルーハンは、まるでDJシャドウみたいだ。彼は本と歴史のジャンキーであり、そのおびただしいコレクションのなかから、これぞというネタを引っ張り出し(もちろんそのチョイスが重要だ!)、カッコよく引用しながら、後世に残る大著を1冊仕上げたのだ。