2004.04.30
マドンナのファースト『バーニング・アップ』
マドンナの初期、「ホリデイ」「ボーダーライン」などを聴きたいと思い、ファースト『バーニング・アップ』(原題は「Madonna」)を買った。

リリースは1983年。当時の私は中3で、アメリカのヒットチャートを中心に洋楽を聴き始めていた。

「ベストヒットUSA」や「MTV」をワクワクしながら見て、『FMステーション』のFM番組表を隅から隅まで見て、「クロスオーバー・イレブン」や「軽音楽をあなたに」などで気になる曲をカセットテープに録音(エアチェック)していた。

当時はぜんぜんお金を持っていないので、アルバム(LP)を買うなんてことはできず、貸しレコード屋(というのが当時全盛だった)で1枚250円とかで借りてきて、カセットテープに録音して、それを大切に聴いていた。

このマドンナのファースト『バーニング・アップ』も、たしか貸しレコード屋で借りた覚えがある。「ホリデイ」「ボーダーライン」などのヒット曲は好きだったが、アルバム全体としては当時の私にはピンと来なくて、あまり聴いていなかった。

それがもう21年も前だ。あれから21年経って、あらためて『バーニング・アップ』を聴いて、いろいろ思うことがあった。

まず1曲目の「ラッキー・スター」。この曲もヒットシングルで、当時も好きな曲だったが、いまあらためて聴いてみて、むちゃくちゃカッコいいファンク・チューンであり、「まるでエムトゥーメイじゃないか」と思った。

解説を読むと、この『バーニング・アップ』のプロデューサーはレジー・ルーカスという人で、マイルスの門下生の1人であり、なんとエムトゥーメイのメンバーだったという。本物だったのだ。

マドンナは2作目の『ライク・ア・ヴァージン』も、そういえばナイル・ロジャース(シック)のプロデュースだ。こんなにプロデューサーに恵まれていたとは。

当時の私はプロデューサーなんて気にしていなかったし、エムトゥーメイもシックも、名前くらいしか知らなかった。聴いていたとしても、音楽的には理解できず、通り過ぎていただろう。当時の私は、ポップもロックもすべて、洋楽のヒットチューンとしていっしょくたに聴いていた。

2曲目の「ボーダーライン」。本当に21年ぶりに聴いたかもしれない。1983年当時の感覚がよみがえってきて、なつかしさに胸がいっぱいになる。たしか、この曲のプロモーションヴィデオは、船で川下りしながらマドンナが歌うような、そんなやつだった気がする。

5曲目の「ホリデイ」。これがデビュー曲で、いま聴いても名曲。この曲だけ、当時マドンナの恋人だったジョン・"ジェリービーン"・ベニテスのプロデュース。

他の曲もなかなかいい。6曲目の「シンク・オブ・ミー」や7曲目の「フィジカル・アトラクション」もエムトゥーメイ調でカッコいい。

去年、ストック / エイトキン / ウォーターマンのナツメロ・コンピ『DISCO FINE』に出会って以来、私は80年代のポップチューンを再発見しつつある。

ただナツメロとしてだけではなく、素晴らしい音楽として「マジメに」聴いている。こんなに素晴らしいものがずっと目の前にあったのに、私はずっと、その真価をわからずにいたのだ。