2009.01.15
福沢諭吉は桃太郎を盗人だと非難した
typeAさんのブログで、福沢諭吉が桃太郎を盗人だと非難した話が紹介されている。

typeAの散種的妄言録 - 桃太郎。
http://d.hatena.ne.jp/typeA/20090114/1231942236

ウィキペディアの「桃太郎」のページを見てみると、たしかにその解説がある。

ウィキペディア - 桃太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E

福沢諭吉は『ひゞのをしへ』の中で、次のように桃太郎を非難しているという。

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。」

(桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。けしからん事ではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。)

福沢諭吉はリバタリアン的な「独立」の人なので、これはうなずける。

「ひゞのをしへ」のページには、福沢のこの考え方を「桃太郎盗人論」として、こう書かれている。

<慶應義塾福澤研究センター顧問の桑原三郎は、『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎が鬼が島へ宝を取りに行ったことが「けしからぬこと」であり、「もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり」とされていることを注目して、「桃太郎盗人論」と名づけて重視している。そして、福澤が桃太郎盗人論を述べた背景として、「「ひゞのをしへ」は、言わば『学問のすゝめ』の幼年版とも見做すべきもの」であって、「一身の独立のためには、他人の独立も侵さないという考えが前提にあり、桃太郎盗人論になったのでありましょう」と説明している>。