2009.01.14
政党は必要なのか?
asahi.com - 渡辺氏、新党結成も「ありうる」 自民は離党届受理(2009年1月13日20時33分)
http://www.asahi.com/politics/update/0113/TKY200901130354.html



<渡辺喜美元行政改革担当相は13日午後、自民党に離党届を提出した。国会内で記者会見した渡辺氏は、首長や有識者らと月内にも政策集団を立ち上げ、総選挙に向けた公約作りに着手する考えを表明。「志を同じくする人が、国政の場で勢力を確保しなければいけないという話になってきたときは(新党結成も)あり得る」と語った。一方、同党は党紀委員会で離党届の受理を決定した>。

<渡辺氏は会見で「麻生首相が『天下り公認政令』撤回を明確に否定し、麻生内閣が霞が関の代弁者であることを露呈させた」などと首相を批判した「離党声明」を発表。「麻生自民党で国民から断絶した政治が行われている」と述べ、首相と党執行部を批判した>。

渡辺喜美元大臣がついに自民党を離れた。これほど勇気のある政治家はなかなかいないだろう。私は渡辺氏の政策・考え方にほぼ賛成だが、賛成していない人でも、氏の信念・行動力には打たれるのではないか。

私の好きな政治家の1人、自民党の山内康一氏が、渡辺元大臣の離党について書いている。

衆議院議員 山内康一 の「公募新人奮闘記」 - 渡辺元大臣が今日離党
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b7b0.html

<今日、渡辺元行革担当大臣が自民党に離党届を出すそうです。
渡辺元大臣とは公務員制度改革や独立行政法人改革に関しては、
考え方が近いと思っていたので、たいへん残念に思います。
できることなら自民党の中で声をあげて、
政治と行政の大改革につなげて行ってほしかったと思います>。

<ひとつの政党の内部に政策や考え方があまりにちがう政治家がいるのは問題ですが、
ある程度の幅というか、多様性は必要だと思います。
例えば、自衛隊の存在を肯定する議員と否定する議員が同じ政党にいるのは、
問題があるように思います。
しかし、行政改革の進め方や経済政策といった点では、
ある程度の考え方の幅があっても良いと思います。
多少考え方が異なる人がいて、いろいろ議論を戦わせる中から、
より良い政策が出てくることもあるでしょう。
多様な意見を反映させて、少数者の利害も尊重しながら、
バランスの取れた政策を実施していくことが、政党の意義のひとつだと思います。
そういう意味では、渡辺さんにはまだまだ自民党に残っていただきたかったです>。

自民党には多様性・考え方の幅があるのはその通りだと思う。異なる意見を封じる恐怖政治よりは、たしかにマシだろう。

しかし有権者からすれば、「自民党」というまとまりに意味が薄くなっており、「自民党を支持する」ということにあまり意味がなくなっているのも確かだろう。同じことが民主党にも言える。

いまの自民党や民主党に対して、その政党としての方向性・政策を積極的に支持している人というのは、もうそれほど多くないのではないか。どちらかを支持しているとしても、「このままじゃ日本は先がなさそうだから、いちど民主党にやらせてみよう」とか、「民主党の経済政策は自民党よりもひどいので、民主党が政権をとったらもっとひどくなりそうだ」とか、そういう消極的な選択になっている人が多そうに思う。つまり、どっちも本心からは支持できないのだ。

いっそのこと、政党などなくなったほうがいいのではないか?と考えてしまう。あくまでも政策や実績などによって、信用できる政治家を個別に選んだほうがいいのではないか。政党などがあるから、政策の中身ではなく、政局というパワーゲーム、陣取り合戦になってしまう。

asahi.com - 橋下知事、渡辺喜美氏から連携打診、4時間会談で拒否(2009年1月13日12時5分)
http://www.asahi.com/politics/update/0113/OSK200901130063.html

<大阪府の橋下徹知事は13日、自民党離党を表明した渡辺喜美元行革担当相と11日に大阪市内で会い、連携を求められたことを報道陣に明らかにした。橋下知事は渡辺氏に「霞が関解体には賛成」と伝えたが、「僕は麻生政権を支えていくので、渡辺さんの運動に乗っかることはできない」と答え、連携については拒否したという>。

<橋下知事によると、渡辺氏の秘書を通じて面会の打診があり、11日に大阪市内で4時間ほど会ったという。橋下知事は報道陣に「(渡辺氏の)本当の意図は霞が関解体、公務員改革、分権。僕は考え方、軌を一にする」と強調。ただ、「僕は麻生政権を支えると宣言しているし、自民党、公明党との関係もある。渡辺さんは麻生政権に反発しているイメージで、のっかりにくい」などと語った>。

これを読んでも、せっかく橋下知事は渡辺氏の政策的な方向性(「霞が関解体、公務員改革、分権」)を支持しているのに、「僕は麻生政権を支える」ということで、連携を断っている。これはまさに、政策的には渡辺氏に賛成だが、自民党という与党の「パワー」は捨てがたい、と言っているように聞こえる。

いくら理想・正論を唱えても、「パワー」がなければ現実を動かせない、というのが政治だろう。それはわかる。しかしそれにしても、いまの日本政治は理想・正論からかけ離れており、国民を置いてきぼりにして、「パワー」の獲得が自己目的化してしまっていると感じる。その意味で、「パワー」を捨ててまで自らの信念に従って動いた渡辺氏は、政治家として素晴らしい行動を示したと思う。

なお、政党制への疑問・批判については、ドイツの社会学者ロベルト・ミヒェルス(ミヘルスとも書く)による「寡頭制の鉄則」というものが知られているようだ。以下に関連ページを並べておく。

ロベルト・ミヒェルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD..
寡頭制の鉄則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%A1..
ミヘルスの政党制批判論
http://lp.jiyu.net/Michels.htm
評議会制を訴える会
http://lp.jiyu.net/hyougi.htm

「国民はそのレベルに応じた政治しか得られない」、といった言葉を聞いたことがあるが、誰の言葉だったろうか?

日本における政治のレベルの低さは、たしかに国民の政治に対する意識の低さにつりあっているのかもしれない。国民が政治への意識を高めなければ、日本の政治は変わらないのだろう。