2011.06.02
次男っぽさ
「次男っぽさ」というものがあると思う。

長男は、親の強い期待を受け、また長男という立場から、責任を背負う。

次男は、これに比べると自由であり、責任が少ない。

この自由さが、「次男っぽさ」の基盤である。

さらに次男は、長男とは違うタイプの人間になりやすい。

もちろん兄弟だし、同じ家庭で育つのだから、似たところもある。

しかし、同じ家庭で育ち、いつも兄貴と比べられるからこそ、「自分は兄貴とは違うぞ」というふうに、自分を差別化したくなるものだと思う。

次男という立場の自由さに加えて、この「兄貴との差別化欲求」が、「次男っぽさ」に磨きをかける。

「次男っぽさ」は、こうして形成されていく。よって、それは「自由さ」と「差別化欲求」の合体である。

しかし、「自由さ」と「差別化欲求」というものは、矛盾するところもある。いつも「差別化欲求」にとらわれているのでは、真に「自由」とはいえない。

それゆえに、「次男っぽさ」はどことなく、さびしげでもある。
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