2003.09.24
佐々木敦の覚え書き
HEADZのサイトで、佐々木敦の日記が始まっている(正式には、<これは「日記」ではなくて「覚え書き」です>とある)。

商業誌原稿では読めないような、仕事の楽屋裏や、読書狂ぶり、パーソナルな記述などがあって面白い。だいたい、この分量は何!?

9/20 (土)の日記で、かつて佐々木敦の職場だった六本木を訪れて昔を回想する部分がある。

渋谷から六本木に行くバスに乗ると、最近は必ずといっていいほど「六本木ヒルズは通りますか?」とか運転手に尋ねている人がいる。こんな雨降りでも、やっぱりヒルズ詣のカップルや中年女性たちでバスは結構混んでいた。今から十五年以上も前のことだが、僕は都合4年間勤務した今は亡きシネヴィヴァンに通うため、週に六日は六本木に来ていた。その当時は実は殆ど意識していなかったのだけれど、バブルの最高潮の時期で、六本木の交叉点は今みたいにどこかやさぐれた雰囲気ではなくて、もっとずっと華やいでいた。外国人が多いのは今でも同じだけれど(でも居るタイプはかなり違うような気もする)。
 そのシネヴィヴァンも、もうずっと昔になくなっていて、ヒルズの端っこになっている。僕がヴィヴァンで働いていた頃から、森ビルによる再開発の話は何度も出ていて、そう考えると、やはりこういう事業は途方もない時間がかかるのだなと思う。その間に日本は、こんなに変化してしまったし


私も80年代末~90年代始め、シネヴィヴァンや六本木WAVEにはときどき行っていた。シネヴィヴァンでは、ドワイヨンやゴダールなどを見た覚えがある。

当時の私はフランスかぶれで、本もル・クレジオやドゥルーズなどを愛読していた。佐々木敦と初めて会ったのもその頃で、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』という映画雑誌に誘われたのがきっかけだった。

この日の佐々木敦の日記を読んで、そんなことを一気に思い出した。

それからもう10年以上になる。<その間に日本は、こんなに変化してしまった>と佐々木敦は書いているが、この10年で、佐々木敦自身の活動や立場も、(私が知っている範囲でも)かなり変化していると思う。そしてもちろん、私も変わった。

しかし、変わっていない部分もある。街も、人も、かなり変化していくけれども、その街らしさ、その人らしさみたいなものは、やはり残っていく。

最近の私は、その10年以上前の自分、いまの自分からすればほとんど他人のような自分に、興味がある。いまの自分よりも愚かだったことは確実だが、いまの自分が忘れてしまった貴重なものも持っていたような気がするのだ。

先日久しぶりに佐々木敦と会ったのも、そんな気持ちがはたらいていたのもあるかもしれない。

いつ以来かも思い出せないくらい久しぶりの「佐々木敦の日記」を読んで、そのなかに昔の六本木の記述があったので、しばらく「なつかしモード」に入ってしまった。

ともあれ、佐々木敦の日記(正式には「覚え書き」)開始はうれしい。

注:
私は佐々木敦本人に対しては「佐々木さん」と呼んでいますが、ここではあえて「佐々木敦」と書いています。私にとって「佐々木敦」は、そういう固有名詞なので。