受験ドキュメンタリー 『偏差値70からの大学受験』
<センタ-試験決戦日。僕はいつもの見慣れたキャンパスに立った。「神戸大学」、これが僕の前に立ちはだかった。しかし今日はどことなく、いつもと違う様に僕の目には映る。 「最後の最後までここか」、僕は受験票を握り締めていた。
雪が降ってきた。
僕は凍るような寒さの中、大学を睨みつける。
「そうか、分かったよ、とことんやろうじゃないか!戦いだ!命を懸けた戦いだ!」
誰に挑む戦いなのか。敵は大学か?夜間か?クラスの連中か?いや、違う。今の僕にはそんなものどうだっていい。
僕がこれから挑み、そして今まで挑み続けてきたのは、他でもない「自分自身の運命」だった。「夜間」だ、「コンプレックス」だ何だ言ってきたが、それは全て自分の「運命」への挑戦に過ぎなかった。>
(「16 雪舞う神戸大キャンパス!運命のセンタ-試験が始まる!」より)
NDO::Weblogで知った、『偏差値70からの大学受験』。
神戸大学夜間に通っていた「斉藤」の受験ドキュメンタリーである。
いったん読み出すと止まらない面白さで、一気に読んでしまった。「斉藤」本人の心理描写や、「王将」「カズヤ」「ヒルマ」「イガ」「IQ」「ヤキソバ」など登場するキャラクターもよく描かれていて、並の小説などよりもはるかに読ませる。
私自身も高2~1浪まで受験ゲームに没入した「受験狂」だったので、他人事とは思えないシンパシーと面白さがあった。それほど受験勉強をしなかったという人にも、受験に狂っている人間とはこういうものなんだという生態がわかって、きっと面白いだろう。
あとがきには<学歴社会ほど、人に優しい社会はない>とあるが、私も学歴や受験ゲームの賛成派だ。受験はゲームであり、甲子園やオリンピックと同じ、勝敗と数値がはっきりした「競技」であり、だからこそフェアだと思う。
間違ってはいけないのは、それはひとつのトラックレコード、結果ではあるが、それ以上のものでもないということだ。学歴や受験の弊害を主張する人は、むしろそれを過大評価しすぎているのだと思う。学歴社会の問題は、学歴そのものではなく、学歴を重視しすぎる見方だ(私は採用面接などでも、学歴はあまり評価しない。特にIT業界では学歴はほとんど意味がない)。
このドキュメンタリーを読むと、受験ゲームに没入した人間の帯びる「熱」、そこに生まれるドラマが、甲子園やオリンピックなどとよく似ていることがわかる。面白いゲームだからこそ、それが自分の世界の「すべて」になり、命をかけるほどまでに没入するのだ。
昔、高校に行かずに大検から東大に入った人の実話を基にした『もう高校はいらない』というテレビドラマがあった。たしか私が高校の頃(1980年代中頃)だったが、大いに感銘を受けた(このドラマも、私を「受験狂」に向かわせた一因だったかもしれない)。ただ、このモデルになった主人公の家庭はやや例外的に進んだ考え方を持っていたので、やや共感しにくい点もあった。
このドキュメンタリー『偏差値70からの大学受験』も、ぜひテレビでドラマ化してほしい。登場するキャラクターの面白さや場面の多さ、また苦しく孤独な戦いへの感情移入のしやすさなど、ドラマの素材としては『もう高校はいらない』よりも面白くなりそうに思う。
模擬試験の成績を神戸大学のキャンパスに貼り出すくだりをはじめ、映像で見てみたい名シーンがたくさんある。テレビ向けに、黒沢清あたりが撮ったらかなり面白くなりそうだ。
雪が降ってきた。
僕は凍るような寒さの中、大学を睨みつける。
「そうか、分かったよ、とことんやろうじゃないか!戦いだ!命を懸けた戦いだ!」
誰に挑む戦いなのか。敵は大学か?夜間か?クラスの連中か?いや、違う。今の僕にはそんなものどうだっていい。
僕がこれから挑み、そして今まで挑み続けてきたのは、他でもない「自分自身の運命」だった。「夜間」だ、「コンプレックス」だ何だ言ってきたが、それは全て自分の「運命」への挑戦に過ぎなかった。>
(「16 雪舞う神戸大キャンパス!運命のセンタ-試験が始まる!」より)
NDO::Weblogで知った、『偏差値70からの大学受験』。
神戸大学夜間に通っていた「斉藤」の受験ドキュメンタリーである。
いったん読み出すと止まらない面白さで、一気に読んでしまった。「斉藤」本人の心理描写や、「王将」「カズヤ」「ヒルマ」「イガ」「IQ」「ヤキソバ」など登場するキャラクターもよく描かれていて、並の小説などよりもはるかに読ませる。
私自身も高2~1浪まで受験ゲームに没入した「受験狂」だったので、他人事とは思えないシンパシーと面白さがあった。それほど受験勉強をしなかったという人にも、受験に狂っている人間とはこういうものなんだという生態がわかって、きっと面白いだろう。
あとがきには<学歴社会ほど、人に優しい社会はない>とあるが、私も学歴や受験ゲームの賛成派だ。受験はゲームであり、甲子園やオリンピックと同じ、勝敗と数値がはっきりした「競技」であり、だからこそフェアだと思う。
間違ってはいけないのは、それはひとつのトラックレコード、結果ではあるが、それ以上のものでもないということだ。学歴や受験の弊害を主張する人は、むしろそれを過大評価しすぎているのだと思う。学歴社会の問題は、学歴そのものではなく、学歴を重視しすぎる見方だ(私は採用面接などでも、学歴はあまり評価しない。特にIT業界では学歴はほとんど意味がない)。
このドキュメンタリーを読むと、受験ゲームに没入した人間の帯びる「熱」、そこに生まれるドラマが、甲子園やオリンピックなどとよく似ていることがわかる。面白いゲームだからこそ、それが自分の世界の「すべて」になり、命をかけるほどまでに没入するのだ。
昔、高校に行かずに大検から東大に入った人の実話を基にした『もう高校はいらない』というテレビドラマがあった。たしか私が高校の頃(1980年代中頃)だったが、大いに感銘を受けた(このドラマも、私を「受験狂」に向かわせた一因だったかもしれない)。ただ、このモデルになった主人公の家庭はやや例外的に進んだ考え方を持っていたので、やや共感しにくい点もあった。
このドキュメンタリー『偏差値70からの大学受験』も、ぜひテレビでドラマ化してほしい。登場するキャラクターの面白さや場面の多さ、また苦しく孤独な戦いへの感情移入のしやすさなど、ドラマの素材としては『もう高校はいらない』よりも面白くなりそうに思う。
模擬試験の成績を神戸大学のキャンパスに貼り出すくだりをはじめ、映像で見てみたい名シーンがたくさんある。テレビ向けに、黒沢清あたりが撮ったらかなり面白くなりそうだ。