2005.07.31
カレル・チャペック 『園芸家12カ月』
最近、なぜか植物に興味が出てきた。

私は生まれてこのかた、植物というものに興味を持ったことは、ほぼ皆無といってもいい。

そんな私が、植物のどのあたりに興味が出てきたのかというと、

- ものすごくたくさんの種類があること(そして、そのすべてに名前があること)

- 動物のようには動かないが、ちゃんと生きていること

あたりが、私にとって気になるポイントのような気がしている。

気持ちとしては、花を見て心を動かされるような審美的な感じよりも、植物学者のような興味の持ち方に近い、という感じか。

いま手元に、カレル・チャペックの『園芸家12カ月』という文庫本がある。園芸にも植物にもまったく興味がないのに、以前本屋で偶然目にとまって、ちょっと読んでみたら面白くて買ったのだった。チャペックの文体の面白さもあるが、何かピンと来るものを感じた。

そんなふうに買ったものの、やっぱり読まずに1~2年の時が経過し(私の部屋にはそんな本がたくさんある)、そのあいだこの本にはたぶん一度も目に通したことはなかったのだが、偶然、すぐ手の届くところにあった。先日部屋を少し片付けたとき、本の配置が変わって、たまたま前に出てきたのだろうと思う。

冒頭の「庭をつくるには」という話は、こんなふうに始まる。

<庭をつくるには、いろいろな方法がある。いちばんいいのは本職の園芸家にたのむことだ。すると園芸家は、棒っきれのようなものや、小枝のようなものや、箒(ほうき)の柄のようなものをいろいろ植えこんで、これがカエデで、これがサンザシで、これがライラックで、これはスタンダード、これはブッシュ、あとは原種のバラですと言う。
 それから、そこいらじゅうの土を掘り、天地がえしをしたあとで、また平らにならし、掘り出した廃物で路を作り、これは宿根草ですと説明して、あっちこっちに枯れた葉をつっこみ、将来芝生になるように、イギリスのライグラスと、オーチャード・グラスと、フォックステイルと、スウェーディッシュ・クローバーと、フィオリン・グラスと称するローングラスの種をまいて、帰っていく。どこをながめても青いものは一つもなく、まるで天地創造の第一日目とでもいったような、殺風景な茶いろの土ばかりだ>。

この「庭をつくるには」の一節には、大きな真理が含まれている気がする。
そしてここに、いまの自分にとって大切なメッセージが含まれているような、そんな感じがした。

最近なぜか植物に興味が出てきて、偶然この本が近くにあらわれた。この出だしを読んでみて、私はあらためてこの本の素晴らしさを感じた。

この一連のちょっとした出来事が、まったくの偶然ではなく、私にとって何かを意味しているような、そんな気がした。

#とりとめのないエントリだが、この「感じ」を記録しておきたかったので、書いておく