2008.03.14
福沢屋諭吉
慶應義塾大学出版会のサイトに掲載されている、日朝秀宜氏による連載「福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉」が面白い。

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉 ~慶應義塾大学出版会のルーツを探る~
http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/fukuzawaya/1.html

福沢諭吉が自ら始めた出版事業の屋号が、「福沢屋諭吉」なのだそうだ。
その経緯については、第2回に書いてある。

<福沢は、すでに幕末から『西洋事情』を始めとして、数々の著作翻訳活動を展開していたのだが、江戸時代の慣行として著作者は草稿を執筆するだけで、その後はすべてを書林(書店・本屋)に一任していた。つまり、版下書き(版木用の清書)・版木彫り・版摺り・製本・売り捌きの全工程のみならず、職人の雇用・製本用紙の買入・値段の設定までも含めて、すべてを書林が取り仕切っていたのである。肝心の著作者本人は、書林の言うがままの「当合扶持」(あてがいぶち)を授けられるのみであった。これに対して福沢は、「江戸の書林が必ずしも不正の者ばかりでもないが、とかく人を馬鹿にする風がある」と憤慨し、「ソコデ私の出版物を見るとなかなか大層なもので、これを人任せにして不利益はわかっている。書林の奴らに何ほどの知恵もありはしない、高の知れた町人だ、何でも一切の権力を取り上げて此方(こっち)のものにしてやろうと説を定めた」と、“独立自尊”の真骨頂を存分に発揮する。>
第2回:「福沢屋諭吉」誕生 一大投機からより)

当時の「書林」というのは、いまの出版社と本屋をあわせたようなものらしい。著作者がもらう「当合扶持」(あてがいぶち)というのも、いまの印税や原稿料にあたるものだろう。

福沢諭吉は、<ソコデ私の出版物を見るとなかなか大層なもので>とあるくらいだから、すでに著作者として有名だったようだ。そこで自ら出版事業に乗り出すのはさすが独立・実業の人だが、その屋号が「福沢屋諭吉」というのが面白い。誰が見ても福沢諭吉だとわかり、かつちゃんと屋号になっている。

他にも、福沢諭吉という人のユニークさが伝わる、面白くてマニアックなエピソードが満載だ。あの『学問のすゝめ』も、この「福沢屋諭吉」から出たらしい。
この連載はいまのところ24回分掲載されていて、まだ継続中のようだ。

参考:
ウィキペディア - 福澤諭吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89
ウィキクォート - 福澤諭吉
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89

福沢諭吉の独立自尊・実業重視の精神、上のウィキクォートにもある「一身獨立して一國獨立するとはこのことなり」という考え方など、いまの日本にすごく必要なものであり、リアルなテーマだと思える。