西郷札
ウィキペディア - 西郷札
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E6%9C%AD
<西郷札(さいごうさつ)とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である>。
<1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。
その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。通用期間三年の不換紙幣であった。十円・五円・一円・五十銭・二十銭・十銭の六種が存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。
西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された>。
西南戦争のために、西郷隆盛の軍が勝手に発行したお金が「西郷札」らしい。布でできていて、<発行当初から信用力に乏しく>、<高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていた>、というのが面白い。
以下のページには、西郷札が発行された状況の解説とともに、当時の新聞記事からの抜粋がある。
西南戦争とその時代 - 西南戦争について2
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj051025.html
「薩軍の紙幣 明治10年6月11日 東京曙
鹿児島にて賊の製したる紙幣は一円、五円、十円、五十円等の各種にて、一円札はその形官造一円のペラ札に髣髴とし、紙の性質は仙花のごとくなるよし。一時は差支えなく通用せしかども、熊本にて賊軍の敗聞鹿児島へ達するに随い、禁せずして通用自然に廃止せり。(後略)」
「西郷札の流通 明治10年8月24日 大坂日報
賊は偽紙幣をおよそ廿四万円余製造したるよしなるが、その内十四万円を流通し、残り十万円はもはや遣うあたわず、そのままに積重ねてあると云う」
「西郷札の流通不能で、金銀銅貨を偽造 明治10年8月29日
薩賊の製造せし紙幣、割拠の地の人民だけはその威力に怖れて、不承不承ながら取り遣りせしが、追々勢いの縮むに随っていかに強いるも流通せず。さすがの賊もこれにははなはだ困却し、果ては止むを得ずして、金銀銅の怪しき貨幣を鋳立てたりと。その形は二分、一分、一朱の三種にして旧貨幣の形なりと云う。」
(毎日コミュニケーションズ刊「明治ニュース事典1」よりの引用、とのこと)
西郷軍が「賊」と呼ばれていたり、<割拠の地の人民だけはその威力に怖れて、不承不承ながら取り遣りせし>とか、当時の報道の言い回しが面白い。
なお上のウィキペディアのページによると、松本清張のデビュー作は、この西郷札をテーマにした『西郷札』という短編(1951年)だったらしい。<新潮文庫の同名の短編集に収録されている>そうなので、こんど読んでみたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E6%9C%AD
<西郷札(さいごうさつ)とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である>。
<1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。
その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。通用期間三年の不換紙幣であった。十円・五円・一円・五十銭・二十銭・十銭の六種が存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。
西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された>。
西南戦争のために、西郷隆盛の軍が勝手に発行したお金が「西郷札」らしい。布でできていて、<発行当初から信用力に乏しく>、<高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていた>、というのが面白い。
以下のページには、西郷札が発行された状況の解説とともに、当時の新聞記事からの抜粋がある。
西南戦争とその時代 - 西南戦争について2
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj051025.html
「薩軍の紙幣 明治10年6月11日 東京曙
鹿児島にて賊の製したる紙幣は一円、五円、十円、五十円等の各種にて、一円札はその形官造一円のペラ札に髣髴とし、紙の性質は仙花のごとくなるよし。一時は差支えなく通用せしかども、熊本にて賊軍の敗聞鹿児島へ達するに随い、禁せずして通用自然に廃止せり。(後略)」
「西郷札の流通 明治10年8月24日 大坂日報
賊は偽紙幣をおよそ廿四万円余製造したるよしなるが、その内十四万円を流通し、残り十万円はもはや遣うあたわず、そのままに積重ねてあると云う」
「西郷札の流通不能で、金銀銅貨を偽造 明治10年8月29日
薩賊の製造せし紙幣、割拠の地の人民だけはその威力に怖れて、不承不承ながら取り遣りせしが、追々勢いの縮むに随っていかに強いるも流通せず。さすがの賊もこれにははなはだ困却し、果ては止むを得ずして、金銀銅の怪しき貨幣を鋳立てたりと。その形は二分、一分、一朱の三種にして旧貨幣の形なりと云う。」
(毎日コミュニケーションズ刊「明治ニュース事典1」よりの引用、とのこと)
西郷軍が「賊」と呼ばれていたり、<割拠の地の人民だけはその威力に怖れて、不承不承ながら取り遣りせし>とか、当時の報道の言い回しが面白い。
なお上のウィキペディアのページによると、松本清張のデビュー作は、この西郷札をテーマにした『西郷札』という短編(1951年)だったらしい。<新潮文庫の同名の短編集に収録されている>そうなので、こんど読んでみたい。