2008.10.10
ル・クレジオにノーベル文学賞
毎日jp - ノーベル文学賞:仏作家ル・クレジオ氏に 日本でも人気
http://mainichi.jp/select/today/news/20081010k0000m040061000c.html

<スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)が贈られる>。

<ル・クレジオ氏は英国人医師を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれた。ナイジェリアで少年期を過ごし、英ブリストル大、ニース大で学んだ。1963年、23歳で発表した長編小説「調書」でフランスの著名な文学賞であるルノード賞を受賞。ゴンクール賞にもノミネートされ、華々しくデビューした。自我の解体と神話的な世界への志向を、豊かなイメージと奔放な語り口で描き出す特異な文学的世界で知られる>。

ウィキペディア - ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8..

ル・クレジオは、私が大学の頃に夢中で読んでいた作家だ。

デビュー作の『調書』、続く短編集『発熱』、哲学的エッセイ『物質的恍惚』あたりが大好きだった。

むかし、ホットワイアードの「CAVE」というコーナーにル・クレジオの紹介記事を書いたことがあり、探してみたのだが、もう掲載されていないみたいだ。

http://hotwired.goo.ne.jp/cave/author/a08001.html
WIRED VISIONのサイトにリダイレクトされるが、そちらには見当たらない)

興味を持つ人がいるかもしれないので、その記事(1998年6月)を以下に掲載しておきます。いま読むとかなり恥ずかしいけど、当時の私はたしかにこういう感じだった。

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J・M・G・ル・クレジオ
(初出 ホットワイアード「CAVE」1998年6月)

かつて映画にヌーヴェルヴァーグがあったように、文学にもヌーヴォーロマンという革新的な動向があった。その中心と見られたのはロブ=グリエやサロート、ビュトール、シモン、デュラスといった小説家で、非人称的で細密な描写がその特徴だったが、そうした先鋭的な動向のなかにあって、より原始的なヴィジョンをもって登場したのがル・クレジオだった。

カミュの『異邦人』以来ともいえるはなばなしいデビューを飾った『調書』(1963)、それに続く『発熱』『大洪水』といった初期の作品群は、斬新な文体がヌーヴォーロマン以降を感じさせ、その狂熱的なまでにめまぐるしい展開は、まさに「小説のゴダール」の名にふさわしいものだった。しかし、それは小説技法のクールな実験、モダニズム的な前衛精神から生まれたものではなく、都市文明との激しい格闘、沸騰するヴィジョン、つまり彼自身の生そのものの反映だった。初期作品の系列に属する『物質的恍惚』(1967)という哲学的エッセイには、そのヴィジョンが凝縮されている。

<すべてはリズムである。美を理解すること、それは自分固有のリズムを自然のリズムと一致させるのに成功することである>

<大地、実在する大地の上では、人間たちの発明の数々はもはや発明されたということを必要としない。それらは宇宙の描く模様に帰属しているのだ。諸都市や諸機械のリズムはたぶんいまだに発見を待っているものだ。それはすでに人間たちの精神から、そして機能の観念から分離している。外にあるのだ、外に>

その後、西洋文明の俗悪な部分に対する憎悪、宇宙的・原始的なものへの畏敬から、ル・クレジオはしだいに別の文明のほうへ導かれていく。彼は毎年メキシコやパナマに長期滞在し、インディオのコミュニティに深く入り込んだ。彼らと同じ食事をし、地べたに寝るという野生の生活をともにすることで、彼らの文明を理解しようとした。『逃亡の書』『悪魔祓い』『向う側への旅』といったものがこの頃の作品で、また『チラム・バラムの予言』など神話の訳出もしている。

80年代以降は、これまでの歩みがゆるやかに結晶したような、やわらかい作風になっていく。子供のこまやかな感性や、またル・クレジオ自身の過去や記憶が主題になる。作品としては、『砂漠』『ロンド その他の三面記事』『黄金探索者』『オニチャ』などがある。

こうしたル・クレジオの真摯な、そして孤独な歩みは、どこかゴダールを思わせるところがある。その軌跡は、単なる手法の変遷ではなく、彼の生そのものを跡づけている。ル・クレジオやゴダールのような作家にとっては、生と切り離された実験というものはなく、生そのものが実験なのだ。生=実験が具現化した彼らの作品は、単に消費すればいい幾多の娯楽作品とはちがい、それに触れた者の人生を変えてしまう力を備えている。共感するにしても反発するにしても、それは真剣勝負に値する相手なのだ。

文明という大きな船のうえで、わたしたちはそれとは知らぬまに、流されている。その流れはいま、すこし早くなっているところだ。しかし、この大きな船は、いい方向にちゃんと進んでいるだろうか?

ル・クレジオの特異な軌跡は、西洋文明に対する別の可能性、新たな進路をひらいた。大きな船からほんのちょっと抜け出して、ル・クレジオの歩みを追ってみてほしい。そしてあらためて考えてみよう。わたしたちがほんとうに求めているもの、それは何なのか?

桜井通開
1998.06.09