2009.03.09
学校教育には、正解/不正解ではなく「暫定的な答え」をバージョンアップしていく「仮説ドリブンアプローチ」が足りない
ハーバード大学医学部留学・独立日記 - 暫定的な答えとしての納得解は言葉のイノベーション
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<「暫定的な答えを変更/訂正し、バージョンアップする」やり方を、リクルート出身で元東京都杉並区立 和田中学校校長の藤原和博さんは「納得解」と呼んでいます。「研究には正解とか不正解とかない」と書きましたが、正解/不正解というはっきりした答えがないのは研究の世界だけではありません。ビジネスでも、普段の人間関係でもそうですし、正解/不正解のはっきりしているのは現行の初等/中等教育ぐらいのものです>。

「暫定的な答え」をつねに変更・バージョンアップしていくという「Hypothesis-driven approach(仮説ドリブンアプローチ)」は、科学研究のフレームワークのひとつだが、これが藤原和博氏の言う「納得解」と重なる、という話。藤原氏は、

<学校の授業はほとんどが正解主義で行われますので、「この問題が出たらこういう正解だ」っていうパターン認識力をすごく発達させています。でも、そのパターン認識にはめて授業を聞いている以上は、実は頭は回転していないんです>。

指摘しており、これを克服するために、「納得解」にたどり着くためのトレーニングを提唱&実践しているとのこと。このタイプの能力は、OECD(経済協力開発機構)が「PISA型学力」と呼んでいる、<知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかという能力>に近いらしい。

これは鋭い指摘。いまの学校教育が現実社会であまり役に立たないのは、学校では「マル」か「バツ」かがはっきりするようなことばかり教えている(「正解主義」)のに対して、現実社会ではそういう問題が少ないからなのだ。

現実社会では、自分の知識や経験を総動員して、自分なりの「暫定的な答え」を出せる能力、またなぜその答えを出したのかを説明できる能力、そして状況の変化に応じて「暫定的な答え」をバージョンアップしていける能力、などが求められる。こういう能力の訓練のためには、書いたり、議論したり、発表するといったアウトプット型の実践が欠かせないが、日本の学校教育では、こういうことはほとんどやらない。ただ知識を流し込んで、それを覚えたかどうかをマルバツ判定するだけだ。

とはいえ、「仮説ドリブンアプローチ」や「納得解」のような実践型教育、「正解のない教育」は、教える側にかなりのスキルを求められるだろう。「指導要領」みたいなものに画一化するのもむずかしくなるから、まず文部科学省は嫌うだろうし、そもそも「標準化」が難しくなるから、「採点」といった客観的な評価もむずかしくなる。それは従来的な普通の学科試験ではなく、芸術系の実技テストのようなものに近くなるだろう。従来型の学校教育をほとんど全部ひっくり返すような、ラディカルな改革が求められる。

日本の公教育が、正面からこういうアプローチを導入していく可能性は、かなり低そうだ。まずは民間主導で、そういうアプローチで成功する学校や教育機関が出てきて人気化すれば、その動きが少しずつひろがっていく、というふうに普及する可能性はあるかもしれない。