2011.02.03
ウィキペディアの「廃藩置県」ページがおもしろい
ウィキペディア - 廃藩置県
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83..

<廃藩置県(はいはんちけん)とは明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照>。

このウィキペディアの「廃藩置県」のページがものすごく詳しくて、実におもしろい。

最初にある「背景」「実行前夜」「実行」の3つの項では、廃藩置県にいたるまでに新政府内で繰りひろげられた、暗闘のドラマが解説されている。この部分だけでも、映画にできそうなくらい面白い話だ。

その後の「府県の一覧」が、この「廃藩置県」ページの白眉である。「明治4年7月14日」「明治4年10 - 11月」「明治4年12月27日」「明治9年の合併」といった各段階に分けて、まず藩が県に置き換わり、県がしだいに統合されていった様子が解説されている。

府藩県三治制」(明治初年の地方行政制度)のページに、「廃藩置県当日に存在した藩」という一覧があり、あわせて見るとわかりやすい。これがすべて県に変わるところから、廃藩置県が始まったわけだ(その時点で一部の県はすでに存在していた)。変遷の全体像を追うのはむずかしいが、自分の住んでいる都道府県や、なじみのあるところを中心に見ていくだけでもおもしろいと思う。

最後のほうには、こんなエピソードも書かれている。

<なお、明治政府は長野県も2分割(長野県、筑摩県)する方針であったが筑摩県庁の焼失により分割が中止された>。

なんと、長野県の一部が「筑摩県」になるはずだったのが、筑摩県庁が焼けたために実現しなかった、とのこと。

その「筑摩県」の独立ページもある。

ウィキペディア - 筑摩県
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91..

<筑摩県(ちくまけん)は、現在の長野県と岐阜県のそれぞれ一部(信濃国の中信地方、南信地方、列びに飛騨国)を版図とした県である。県庁は筑摩郡松本町に置かれた>。

<1871年12月31日(明治4年旧暦11月20日)、伊那県や松本県など幾つかの県の合併により誕生した。しかし、1876年8月21日に分割され、信濃国部分が長野県に合併され、飛騨国部分が岐阜県に合併されて廃止された>。

<現長野県側では、長野県に編入以降も、改めて分県することを目指す動きがあったが、県庁が置かれた松本城二の丸の火災や、内部の方向性がまとまらなかった為、分県されて誕生する県がいくつかある中(廃藩置県の実行)唯一分県がされなかったまま現在に至っている>。

この解説によると、分県できなかった理由は県庁の火災だけではなかったようだが、大きな理由ではあったのだろう。

ウィキペディアには、この「筑摩県」も含む、「日本の都道府県 (廃止)」というカテゴリがある。なくなってしまった都道府県が332も登録されており、それぞれのページで、それぞれの歴史が語られている。その区分はなくなってしまったものの、その場所自体はもちろんあって、なごりの地名や、当時の記念物などが残っていたりするようだ。いまの私は日本の「地方」に興味があるので、こういうのがおもしろいと感じる。


関連:
ウィキペディア - 府藩県三治制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C..
版籍奉還から廃藩置県まで
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/huhanken.htm

関連エントリ:
日本の「八地方区分」
http://mojix.org/2011/01/14/japan-regions