2004.06.23
言語空間の構造
ITmedia : e-Biz経営学 個人としての国際化対応(2)言語空間の構造(住田潮)
http://www.itmedia.co.jp/survey/articles/0406/23/news026.html

ITmediaにこんな連載があったとは知らなかった。

<コミュニケーションの基礎は、なんと言っても言語です>。まったくその通りだ。

もともとは私も言語や哲学に興味があったのだが、IT業界に入ってからは、技術を「使う」ことに集中して、あまりその意味を考えたり、分析したりしなくなってきている。

そんな私にとって、ITmediaでこんなディープな記事に出会うとは、驚きだ(ITmediaは、いい意味でカジュアルな、力の抜けた感じの媒体なので)。

<言葉で表現する際には、先ず、理解して欲しいと思う対象の母集団を措定することが重要だと思います。自分の居る課内の人々に分かって貰えば十分なのか、全社的に伝えることが必要なのか。あるいは広く社会的に理解され得る表現とすることが要請されているのか。同じ言葉でも、対象母集団をどう選ぶかによって、その意味や示唆する内容が異なってきます>。

<次に、抽象化し具体化するという言葉の働きの二重構造を自覚することも、コミュニケーション能力の涵養に役立ちます。前者は、自己表出性として現れ、後者は言葉の指示性をもたらします。自己表出性とは、自分に固有の思考や感情を抽象化し伝達可能な形に転化する際に、自己の思い入れを否応なく含んでしまう言葉の属性です。指示性とは、言葉によって対象の中にイメージを喚起し、それによって相互理解を可能とする言葉の属性です。ぼくらの発する言葉は、この2次元空間を動いていると考えられます。詩の表現は自己表出性が高く、数学やコンピューター言語による表現は指示性が高いと言えます。同じ言葉でも、時間や経験を共有している人々を対象とする母集団では指示性が高く、その外の人々に対しては指示性が極端に低くなるといったことも起こり得ます>。

「自己表出性」と「指示性」とは面白い。

私はもっぱら、言語というのは記号で、指示するものだと思い込んでいた。よりマクロに見れば、指示対象が自分自身の気持ち・状態の場合、「自己表出性」となるのかもしれない。「客観」と「主観」みたいなものか。

日本人の特性や日本文化の特性は、多分に日本語そのものの構造に由来しているのではないかと、私はずっと、漠然と思い続けてきた。

ITの世界に入って、プログラミング言語や通信プロトコルというものを知ったが、それらの「言語」の構造・ルールが、その使われ方や、それがもたらす結果(良くも悪くも)に影響を与えることを知った。

プログラミング言語や通信プロトコルは、意味・指示対象に「揺れ」がなく、厳密なルールの集合という意味では、数学みたいなものだろう。いわば人工言語だ。

日本語や英語などの自然言語は、人工言語と比べるといろいろ異なる点があるが、その言語の構造・ルールが、その使われ方や、それがもたらす結果(良くも悪くも)に影響を与えるという点では、おそらく同じではないかと思うのだ。

カルナップのように、数学的・論理学的な分析に走る路線も私は好きなのだが、この住田潮氏の原稿では、日々の現実世界の中でこういう分析的な考え方を応用するようなアプローチで、とても新鮮に感じる。

時枝誠記、大野晋、三浦つとむなんかも、興味は持ちながらも通り過ぎてしまっていたのだが、また読んでみたくなった。

ネット上では、反射的に読んでしまう情報は多いが、こういう深い分析的なものはあまりない。これはおそらく、私も含めて多くの書き手が「反射的に」書いているからで、これはPCやネットの環境がそうさせている部分もあると思う。

静かな書斎の中で、万年筆で紙の上に書かれた言葉と、あわただしい環境で、Webのテキストエリアにキーボードで打ち込まれた言葉、あるいは電車の中でケータイの小さい画面にテンキーで打ち込まれた言葉では、その「質」や「粒度」において、まったく違ったものが出てくるだろう。