2004.07.12
米長邦雄 さわやか日記 / 将棋の思い出
yomoyomoさんのページで知ったのだが、なんと米長邦雄本人が、掲示板に日記を公開している。

米長邦雄 さわやか日記
http://8154.teacup.com/yonenaga/bbs

これは知らなかった。すごく面白いし、「さわやか日記」というタイトルも素晴らしい。

CNET Japanのブログでおなじみの梅田さんも、先日はてなのほうで米長邦雄のことを書いていて、ちょうど気になっていたところだった。

私は子供の頃将棋が大好きで、小学校から高校1年までやっていた。勉強しないで将棋ばかりやっていて、このままでは大学に行けないと高校の担任に言われ、親にも勉強か将棋かどっちかにしろと言われた。

それでは将棋をやろうと、同じ高校を出てプロ棋士になった小野敦生さんという人の連絡先を調べて、プロになれるかどうか相談した。

小野さんはこうアドバイスをくれた。東洋文庫に『詰むや詰まざるや』という本があるから、まずはそれを全部解いて、できるようになったらもういちど相談してほしい、と。

さっそく『詰むや詰まざるや』を入手してみると、盤面いっぱいに駒が置いてある、狂ったような詰将棋が100題載っていた。これまでいちども見たことがない、それが詰将棋であること自体信じられないようなシロモノだった(通常の詰将棋は、せいぜい駒が10個くらいで、数分程度で解ける)。

私はただ、愕然とした。プロとはこんなにも遠い世界だったのかと。それを解いてみようという気力さえ起こらず、その日にプロをあきらめた。そして、将棋もやめた。

小野さんはきっと、「いまからではプロになれない」ときびしく宣告するかわりに、そうアドバイスしてくれたのだと思う。道を誤らないよう親切にアドバイスしてくれた小野さんに、とても感謝している。

私にはそんな過去があるので、将棋のプロ棋士には、いまでもちょっとした憧れがあるのだ。

梅田さんが上記のページで引用している、米長邦雄『人間における勝負の研究』からの一節がすばらしいので、私も引用させてもらおう。

<将棋で言うと、最善手ではないけれども、指してもよい手ならOK、すなわちどれにしようか、ということを思い悩まずに指してよい。しかし、悪手を指さないということには、十二分な配慮をする。将棋には最善手とそれに近いものが一つか二つあると、一方で悪手が百くらいあるのが普通ですが、人生も同じようなものではないかと思います。道を歩いていると、あたり一面がほとんど悪手の山で、その中で最善手かどうかは断定できないが、悪手ではなさそうな細い道がある。そして、いかにして悪手の山に踏み込まずに、正しい道を歩んでいけるか。これが、私の言う「許容範囲」ということであり、そういう意味では、人生の生き方と将棋というのはよく似ていると思うわけです>。