ぼくたちはABCに育てられた
ぼくたちの本と本屋 : ぼくたちはABCに育てられた
http://numa.seesaa.net/article/303933.html
7/16いっぱいで営業停止した、ABCこと青山ブックセンターの情報を調べていて、このページにたどり着いた。
この「ぼくたちの本と本屋」というブログをやっているのは、「book pick orchestra」というオンラインの古書店をやっている内沼晋太郎さんという人で、まだ23歳らしい。
ちょっと長いが、「ぼくたちはABCに育てられた」から引用する。
<大学1年の頃、ぼくは高校時代からの友人と[super]という雑誌を作ろうとしていた。それは本当に、今思い出しても画期的でエキサイティングなアイディアに溢れる雑誌だった。その頃ぼくらは、ほんとうに毎日のようにABCに行っていた。いつも「じゃあ、ルミツー(新宿ルミネ2)のABCで」と待ち合わせた。
まずは平積みになっている雑誌コーナーに行く。発起人で編集長だったぼくは、そのとき出ているすべての雑誌が本当に面白くなくて、自分の出す雑誌が旋風を巻き起こすのだと豪語していた。でもその頃は本当に、女性ファッション誌からマニアックな専門誌まで、毎月そこにならぶ何百という雑誌をチェックしていた。ちょっとあたらしい企画が出るたびに、ちょっと悔しがりつつ、基本的にはいきがっていた。勝てる、と思っていた。
そしてその後ざっと新刊の書籍を見渡した後、奥の美術・デザインの棚に行く。するとたいてい、待ち合わせていた親友のADがいて、買うにはとても手が出ない海外のヴィジュアル本を眺めていた。ぼくもそこに加わる。当時ABCに並んでいたものは、ほとんど全部目を通していただろう。そしてそんなような客は、他にもたくさんいたように思う。
[super]は色々な事情で、残念ながら完成に至る前にその活動を終えざるを得なくなってしまった。当時はお金もなく、正直ほとんどの本を立ち読みで済ませてしまっていたから、ABCに「もっとがんばれよ!」なんていう資格はぼくらにはない。けれどその頃のぼくらは文字通りABCに学び、育てられていた。そのことだけは間違いない。
セゾン文化というコトバと、その恩恵を受けた世代というのが確実に存在する。ぼくらはそのセゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める世代だ、ということは、結構色々なところで言ったり書いたりしてきたのだけれど、ひょっとしてぼくらにとってのセゾンはABCだったのではないだろうか、と思う。もちろんABCは、言ってしまえばただの夜遅くまで空いている本屋だ。けれど確実にABCの匂いというものがあって、ぼくらはそれを嗅いでその周辺を漂っていた。主催のトークショーにも何度も行った。欲しいと思う本がないことも多かったけれど、まあ大抵はそこにあった。ぼくらの感覚のある部分は、確実にABCで研ぎ澄まされていったはずだ>。
これを読んで、私は「まるでかつての自分みたいだ」と思った。雑誌と本のジャンキーだった20歳過ぎの私にとって、本屋や古本屋、図書館こそが「教室」であり、「道場」でもあった。
<ぼくらは文字通りABCに学び、育てられていた>、<当時ABCに並んでいたものは、ほとんど全部目を通していた>、<そしてそんなような客は、他にもたくさんいたように思う>、<ぼくらの感覚のある部分は、確実にABCで研ぎ澄まされていった>、そう、ABCというのは私にとっても、そんな本屋だった。
ABCは、こういう内沼さんのような人を「育てる」ことのできた、素晴らしい本屋だった。Amazon.comは素晴らしいし、とても便利だが、人を育てることはできない。
<セゾン文化というコトバと、その恩恵を受けた世代というのが確実に存在する。ぼくらはそのセゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める世代だ>と内沼さんは書いている。私はいま35歳で、そのセゾン文化にギリギリ触れた世代だが、私からすれば、いま23歳でこんなにもABCに入りびたり、雑誌や古本に熱狂しているような若者がいることのほうがむしろ驚きだった。
ABCを80年代カルチャー、セゾン文化の生き残りとして語っているのは、この内沼さんだけではなく、いくつかのブログで見かけた。私もまったく同感である。今回のABC閉店はどう見ても、シネヴィヴァンや六本木WAVE、池袋のセゾン美術館などが消えていった、その延長上にあるように見える。
これらが消滅した原因は、不況に持ちこたえられなかった、ネットの出現で本が売れなくなった、などいろいろあるだろうが、要するに「時代が変わった」のだと思う。
本や雑誌のジャンキーだった私が、Webやネットに軸足を移しはじめたのは、1997~98年頃からだ。その後、29歳でIT業界に入った「レイト・カマー」の私にとって、子供の頃からコンピュータをいじっているような「人種」には永遠に追いつけないと感じていたし、またもし自分がもっと遅く生まれていて、中学・高校の頃からインターネットが身近にあったら、どんなに良かっただろうと思うことがときどきある。
そんな私から見れば、まさに私があこがれる世代である23歳の内沼さんが、「セゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める」というのが、驚きだったのだ。
いま20台前半くらいで、内沼さんのような志向を持っている人は、かなり少ないのではないか。そうでなければ、ABCも潰れなかったはずだ。
もちろん80年代だって、そういう「人種」は多数派というよりは少数派だったと思う。それでも一定の勢力があり、時代に色を添えるくらいの動きだったはずだ。それが時間の経過と不況のなかでだんだん退潮していって、いまでは「珍しい人種」くらいまで減ってきているのではないか。
ABCがつぶれたことは残念だ。しかしABCに育てられた内沼さんのような人が、これから活躍して、次のカルチャーを作ってくれるだろう。いまの出版や音楽、映画などの業界を支える中堅も、かつてはセゾン文化をいっぱいに浴びて育った若者だったのだ。
http://numa.seesaa.net/article/303933.html
7/16いっぱいで営業停止した、ABCこと青山ブックセンターの情報を調べていて、このページにたどり着いた。
この「ぼくたちの本と本屋」というブログをやっているのは、「book pick orchestra」というオンラインの古書店をやっている内沼晋太郎さんという人で、まだ23歳らしい。
ちょっと長いが、「ぼくたちはABCに育てられた」から引用する。
<大学1年の頃、ぼくは高校時代からの友人と[super]という雑誌を作ろうとしていた。それは本当に、今思い出しても画期的でエキサイティングなアイディアに溢れる雑誌だった。その頃ぼくらは、ほんとうに毎日のようにABCに行っていた。いつも「じゃあ、ルミツー(新宿ルミネ2)のABCで」と待ち合わせた。
まずは平積みになっている雑誌コーナーに行く。発起人で編集長だったぼくは、そのとき出ているすべての雑誌が本当に面白くなくて、自分の出す雑誌が旋風を巻き起こすのだと豪語していた。でもその頃は本当に、女性ファッション誌からマニアックな専門誌まで、毎月そこにならぶ何百という雑誌をチェックしていた。ちょっとあたらしい企画が出るたびに、ちょっと悔しがりつつ、基本的にはいきがっていた。勝てる、と思っていた。
そしてその後ざっと新刊の書籍を見渡した後、奥の美術・デザインの棚に行く。するとたいてい、待ち合わせていた親友のADがいて、買うにはとても手が出ない海外のヴィジュアル本を眺めていた。ぼくもそこに加わる。当時ABCに並んでいたものは、ほとんど全部目を通していただろう。そしてそんなような客は、他にもたくさんいたように思う。
[super]は色々な事情で、残念ながら完成に至る前にその活動を終えざるを得なくなってしまった。当時はお金もなく、正直ほとんどの本を立ち読みで済ませてしまっていたから、ABCに「もっとがんばれよ!」なんていう資格はぼくらにはない。けれどその頃のぼくらは文字通りABCに学び、育てられていた。そのことだけは間違いない。
セゾン文化というコトバと、その恩恵を受けた世代というのが確実に存在する。ぼくらはそのセゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める世代だ、ということは、結構色々なところで言ったり書いたりしてきたのだけれど、ひょっとしてぼくらにとってのセゾンはABCだったのではないだろうか、と思う。もちろんABCは、言ってしまえばただの夜遅くまで空いている本屋だ。けれど確実にABCの匂いというものがあって、ぼくらはそれを嗅いでその周辺を漂っていた。主催のトークショーにも何度も行った。欲しいと思う本がないことも多かったけれど、まあ大抵はそこにあった。ぼくらの感覚のある部分は、確実にABCで研ぎ澄まされていったはずだ>。
これを読んで、私は「まるでかつての自分みたいだ」と思った。雑誌と本のジャンキーだった20歳過ぎの私にとって、本屋や古本屋、図書館こそが「教室」であり、「道場」でもあった。
<ぼくらは文字通りABCに学び、育てられていた>、<当時ABCに並んでいたものは、ほとんど全部目を通していた>、<そしてそんなような客は、他にもたくさんいたように思う>、<ぼくらの感覚のある部分は、確実にABCで研ぎ澄まされていった>、そう、ABCというのは私にとっても、そんな本屋だった。
ABCは、こういう内沼さんのような人を「育てる」ことのできた、素晴らしい本屋だった。Amazon.comは素晴らしいし、とても便利だが、人を育てることはできない。
<セゾン文化というコトバと、その恩恵を受けた世代というのが確実に存在する。ぼくらはそのセゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める世代だ>と内沼さんは書いている。私はいま35歳で、そのセゾン文化にギリギリ触れた世代だが、私からすれば、いま23歳でこんなにもABCに入りびたり、雑誌や古本に熱狂しているような若者がいることのほうがむしろ驚きだった。
ABCを80年代カルチャー、セゾン文化の生き残りとして語っているのは、この内沼さんだけではなく、いくつかのブログで見かけた。私もまったく同感である。今回のABC閉店はどう見ても、シネヴィヴァンや六本木WAVE、池袋のセゾン美術館などが消えていった、その延長上にあるように見える。
これらが消滅した原因は、不況に持ちこたえられなかった、ネットの出現で本が売れなくなった、などいろいろあるだろうが、要するに「時代が変わった」のだと思う。
本や雑誌のジャンキーだった私が、Webやネットに軸足を移しはじめたのは、1997~98年頃からだ。その後、29歳でIT業界に入った「レイト・カマー」の私にとって、子供の頃からコンピュータをいじっているような「人種」には永遠に追いつけないと感じていたし、またもし自分がもっと遅く生まれていて、中学・高校の頃からインターネットが身近にあったら、どんなに良かっただろうと思うことがときどきある。
そんな私から見れば、まさに私があこがれる世代である23歳の内沼さんが、「セゾンの残り香を嗅ぎ羨ましく眺める」というのが、驚きだったのだ。
いま20台前半くらいで、内沼さんのような志向を持っている人は、かなり少ないのではないか。そうでなければ、ABCも潰れなかったはずだ。
もちろん80年代だって、そういう「人種」は多数派というよりは少数派だったと思う。それでも一定の勢力があり、時代に色を添えるくらいの動きだったはずだ。それが時間の経過と不況のなかでだんだん退潮していって、いまでは「珍しい人種」くらいまで減ってきているのではないか。
ABCがつぶれたことは残念だ。しかしABCに育てられた内沼さんのような人が、これから活躍して、次のカルチャーを作ってくれるだろう。いまの出版や音楽、映画などの業界を支える中堅も、かつてはセゾン文化をいっぱいに浴びて育った若者だったのだ。