2005.06.21
株と会社、お金と世界
ハーバード留学記 : 誰がために企業はある?
http://hbslife.exblog.jp/2927929

<多くの株主は「企業と命運を共にするオーナー」という従来の株主像からは離れ、「おカネ」という、現代においてはもっともありふれた(commoditized)資本を拠出して、一時的な株価の上ぶれを狙って企業に出たり入ったりするゲームの参加者に過ぎなくなっているのだ。
また、現代社会において一番のリスクを背負っているのは企業の一般従業員ではないか、FTの記事はそう指摘している。曰く、企業の業績変動に応じて移り変わることができる株主とは異なり、モビリティーがないほとんどの労働者は、一生をその企業とともに過ごさなければならず、リスク回避をする手立てがないのだ(さらには、ストックオプション、企業年金などを通じて、二重・三重ものリスクにさらされていることになる)。
以上を考慮すると、保有期間やさらされているリスクを考慮したとき、株主の利益保護を絶対的に優先させるという考えは、他の利害関係者とのバランスで修正されるべきではないか。法律論としてはロジックが弱いかもしれないし、実際に制度論としてどのように実現させるかという点で難しさを残すが(裁判所にその判断を委ねるのが適切だとも思わない。これじゃぜんぜん駄目?)、このような視点は、株主資本主義が声高く叫ばれる今日における政策論を考える上では、特に重要であると思う>。

最近の私は、会社とか仕事、お金、価値などについて、ときどき考える。
自分で会社をやっていると、会社やお金について、そして自分が仕事を通じて社会にどんな価値を提供できているのか、考えざるを得ないのだ。

株主は「ゲームの参加者」に過ぎず、一般従業員こそリスクテイカーだ、というこの視点は、そんな私の心にひびくものがあった。

「株主 vs 従業員」という図式は、「資産 vs コスト」という図式にも通じるものがあると思う。

私は約3年前に独立したとき、初めてBS(バランスシート)とPL(損益計算書)について学んだが、その意味がわかってきたとき、社員は資産でないのでBSに載らず、文房具などと同じコストとしてPLにしか載らないことにショックを受けた。

法律上は、株主こそ会社の所有者であることは疑いないが、「痛み」をより多く負っているのはむしろ従業員だというのは、多くの人の実感ではないだろうか。

これはつきつめれば、資本主義自体の問題になりそうな気がする。「株式」を「お金」に、「企業」を「世界」に読み替えれば、お金は世界のエクイティ(持分)になるのかもしれない。

しかし、そうは思いたくない。世界や人間は、お金では買えないはずだ。

とはいえ、労働というものは、自分の時間や心を金で売っているに近い、というのも現実だろう。

世界のバランスシートには資本家しか載っておらず、労働者は消しゴムなどといっしょに、損益計算書にしか載っていないのかもしれない。

私はこれまで共産主義に興味を持ったことは一度もないが、資本主義も完全無欠ではないことが、やっと見えてきた気がする。遅ればせながら、マルクスを読む必要がありそうだ。