2005.10.12
「ロジカル」 はコモディティ化し、 「クリエイティヴ」 が浮上する
以前「コンピュータと同じ歴史を歩む人間」というエントリで、コンピュータのコモディティ化と、優秀な人材のコモディティ化が似ている、ということを書いた。

優秀な人材にもいろいろあるが、ここでは優秀な人材を「速いCPU」にたとえたように、比較的ロジカルな優秀さを指している。問題を解いたり、一定の処理をこなすのが早く、その解や到達点が比較的はっきりしているとき、その問題や処理は「ロジカル」なものと言えると思う。

こう考えると、あらゆる「ロジカルなもの」について、これからコモディティ化が進むのではないか、と思える。

ロジカルなものとは、「あると便利なもの」だ。「こういうのがあったら便利だ」と思えるものは、何らかの問題のある状況に対して、ロジカルなソリューションが可能だということを意味している。

それは「Google的なもの」だと言ってもいいかもしれない。IT的なロジックによって自動化・効率化できるものはすべて、Googleあるいはその種の企業・仕組みによって、これから徹底的に自動化・効率化されていく。それはコモディティ化し、インフラ化する。そこで生き残れる会社は、電力会社や鉄道会社のように、巨大な、少数の会社だけだ。

こうしてロジカルなものがコモディティ化され尽くした結果、ロジックでは到達できない「クリエイティヴなもの」が、逆に浮き彫りになってくる。「クリエイティヴなもの」は、ロジックや資本の規模では到達できないので、その主要な担い手は大企業ではなく、「個人」だろう。

肉体労働の多くが機械に置き換えられたように、知識労働の多くは、コンピュータに置き換えられていく。そして、「クリエイティヴ」という神聖な領域が、人間に残されるのだ。

これこそまさに、ノーバート・ウィーナーが「THE HUMAN USE OF HUMAN BEINGS(人間の人間的な利用)」(『人間機械論』の原題)という言葉で語った、人間がその能力を真に発揮できる「人間のための領域」なのかもしれない。

関連エントリ :
My Life Between Silicon Valley and Japan : Get Creative!
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050724/p1
Ringo's Weblog : Googleと競合しない方法
http://www.ce-lab.net/ringo/archives/2005/08/03/index.html#000069