2005.10.18
時間の 「小銭」 と 「お札」
私はこのごろ、とにかく長いWebコンテンツを読む気がしない。

なぜか短いものだと読む気になって、長いものだと避けてしまう。
中身の問題じゃない。単に、長さの問題なのだ。

ブログでも、ニュースサイトでも、長いものを見ると、ざっと見て終わりにしてしまうことが多い。
「要点だけ、短くまとめてくれ!」と思ってしまう。
私自身も、長いエントリを書いてしまうと、充実感というよりは、自己嫌悪に陥る。

これはなぜなのか。私がネット中毒により堕落しつつあり、根気のない、ナマケモノになっているのだろうか。

それもあると思うのだが(笑)、おそらく、長いコンテンツというのは、「長い時間を要求する」からだと思う。

ネットをあちこち見て歩くとき、時間の「小銭」なら、出すのにあまり抵抗がない。
しかし長いコンテンツとなると、時間の「お札」が必要になってくる。

長いコンテンツの前で立ち止まり、時間の「お札」を払って、その場でじっくり読むというのは、なかなかむずかしい。
だから、とりあえずブックマークして、「あとで読む」ことにする、というパターンになる。
それで結局、ずっと読まなかったりするのだが‥。

ネットを見る行為というのは、「ネットサーフィン」と言われるくらいで、どんどんクリックして、情報の上を飛び移っていくことだ。この連続的な運動のなかで、長いコンテンツに出くわすと、いったん立ち止まる必要があるので、やや違和感がある。

これが、例えば本とか映画であれば、その対象に没入する準備が最初からできている。時間の「お札」を持って、そこにやってきているのだ。ネットでも、何かについて調べものをするような場合は、これに近い。何かの解説文などは、長く書いてあっても迷惑ではなく、詳しいほうがありがたい。

時間の「小銭」と「お札」の使い分けは、実際にその時間があるかどうかというよりも、気分的なものが大きそうだ。