2005.10.22
ポジティブで寛容なスタンスが文化を発展させる
たけくまメモ : 【業務連絡】ここ2日のアクセスが凄いことに
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_db24.html

マンガの模倣・盗用問題に関して、たけくまメモで『サルまん』(注)の一部がアップされている。

注 : 『サルまん』
相原コージ・竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』。詳しくはWikipediaの解説を参照。

『サルまん』、なつかしいなあ。Wikipediaの解説によると、スピリッツに連載されていたのは1989年。当時の私は大学2年で、吉祥寺に住んでいた。ラーメン屋とかに置いてあったスピリッツで、『サルまん』読んでいたなあ。

アップされている『サルまん』の一部は、マンガで人物の身体が描けない相原コージに対し、竹熊健太郎が「(別のマンガを)見て描きゃいい」とアドバイスするという、まさに<特にタイムリーな部分>だ。

この中のコラムで、「漫画は一種の象形文字である」という手塚治虫の言葉が引かれている。これは名言では。

マンガを構成する要素は、模写され、パクられながら受け継がれていくという意味で、文字とか単語のように、人類の共有財産と見なすというスタンスだろう。

ではどこまでなら許されるのかとか、独自性の線引きにはむずかしいところがあり、私も答えを持っているわけではない。しかし、「文化を発展させる」というスタンスに立つならば、基本的に「寛容さ」が大事であることは間違いないように思う。

これはソフトウェアやビジネスモデルなどの特許の話にも通じるものがある。保護を強くしすぎると、技術やビジネスの発展そのものが阻害されてしまう(この話は以前、「もし数字の「ゼロ」に特許があったら」で書いたことがある)。

今回の竹熊氏のエントリでは、『サルまん』から<特にタイムリーな部分>を載せたということに加え、もう1つの「メッセージ」がある。このスキャン画像自体が、ネット上で誰かが勝手にアップロードしたもので、それを竹熊氏が再利用しているのだ。それについて竹熊氏は、こう書いている。

「実はちょうどネットでスキャン画像が転がってたのを発見し、そのまま拝借。こちらでスキャンする手間がはぶけました。どなたか存じませんがどうもありがとうございました>スキャンした人」

この寛容さと、腰の低さはどうだ。
竹熊氏のような、こういうポジティブで寛容なスタンスこそが、「文化を発展させる」のだと思う。