「Amazon Mechanical Turk」 を予言していた電気グルーヴのクソゲー 『グルーヴ地獄V』
「Amazon Mechanical Turk」にトラックバックをいただいた以下のブログで、面白い指摘があった。
Rin Drum Memo - リアルGROOVE地獄Ⅴ
http://d.hatena.ne.jp/pixacao/20051123
電気グルーヴがプロデュースした『グルーヴ地獄V』というプレイステーションのゲームが、
「Amazon Mechanical Turk」 にそっくりだったというのだ。
私はこのゲームについて聞いたことがあるが、実物は見たことがない。
調べてみると、Wikipediaの『グルーヴ地獄V』ページに詳しい解説があった。
(こういうのが読めるのは、日本のウィキペディアならでは)
1998年のゲームで、<ゲームの目的は「音源集め」。ミニゲームで稼いだ小銭をガチャガチャ(ガチャポン)に入れ、出てきた音(音源)を組み合わせてDJプレイをする>。
これが基本的にはゲームの目的なのだが、そこにたどり着く前の、小銭を稼ぐための<バイトと呼ばれるミニゲーム群>が面白いらしい。以下のようなものがあるそうだ。
「ボールペンコウジョウ」
延々と流れてくるボールペンの本体にキャップをかぶせていく。このミニゲームにはBGMがなく、「キュ」「ポン」という音しか聞こえてこない。成績が良いと、いいことが起こる。(?)
「キノコ or DIE」
道路を走行する車を避けながら、キャラクターを操作し道路の向かいを目指す。途中に落ちているキノコを取るとボーナス得点が入る。タイトル画面の曲がアニメ・サザエさんの挿入曲に似ている。
「薪割り」
薪を延々と割っていく。動物やそのほかの物を割ると失敗。動物にそっくりな薪もあるので注意。失敗時の音楽はドリフのコントでズッコケの際に使われるものと似ている。
「交通量調査」
道を通り過ぎる通行人をカウントしていくゲーム。人間以外にも宇宙人や猫、戦車などが通るので、うまく人間だけをカウントしなくてはいけない。
このように、どの<バイト>も「何かを識別する」という単調さが一貫しているらしい。
これは確かに、「Amazon Mechanical Turk」にかなり近い。
このクソゲーを考えた電気グルーヴは、これらの<バイト>をできるだけ単調でくだらない、
無意味なものとして描いたのだろう。それゆえに笑えるわけだ。
それがリアル世界で成立してしまったのが、「Amazon Mechanical Turk」だ。
これはゲームではなく、その単調作業の成果を使って収益を上げる会社が、背後に実在する。
これはゲーム的に見れば、たしかに面白い。
Rin Drum Memoのpixacaoさんのように、「ほんとうに稼げるゲーム」として、
笑いながらプレイすることもできる。
しかし同時に、どこか空恐ろしい気もする。
クソゲーでギャグとして描かれるほど単調な仕事が、
リアル世界でほんとうに登場してきたわけだ。
「Amazon Mechanical Turk」と『グルーヴ地獄V』を重ねてみると、
「遊び」と「仕事」の違い、「ゲーム」と「労働」の境界などについて、考えさせられる。
その境界は、それほど自明ではないのかもしれない。
つまり、これだけ見ると「ゲームが現実化した」ようにも見えるが、
もっと大きな視点に立てば、もともと世界そのものが、ゲームみたいなものだとも言える。
仕事が単調かどうかも、しょせん程度問題ではないだろうか。
あらゆる労働は、「Amazon Mechanical Turk」や『グルーヴ地獄V』の<バイト>と、原理的には同じだ。
『グルーヴ地獄V』は、クソゲーといいながら、みごとに現実の縮図になっている。
わたしたちはみな、この世界という「大きいゲーム盤」の上で動きまわる「プレイヤー」なのだ。
Rin Drum Memo - リアルGROOVE地獄Ⅴ
http://d.hatena.ne.jp/pixacao/20051123
電気グルーヴがプロデュースした『グルーヴ地獄V』というプレイステーションのゲームが、
「Amazon Mechanical Turk」 にそっくりだったというのだ。
私はこのゲームについて聞いたことがあるが、実物は見たことがない。
調べてみると、Wikipediaの『グルーヴ地獄V』ページに詳しい解説があった。
(こういうのが読めるのは、日本のウィキペディアならでは)
1998年のゲームで、<ゲームの目的は「音源集め」。ミニゲームで稼いだ小銭をガチャガチャ(ガチャポン)に入れ、出てきた音(音源)を組み合わせてDJプレイをする>。
これが基本的にはゲームの目的なのだが、そこにたどり着く前の、小銭を稼ぐための<バイトと呼ばれるミニゲーム群>が面白いらしい。以下のようなものがあるそうだ。
「ボールペンコウジョウ」
延々と流れてくるボールペンの本体にキャップをかぶせていく。このミニゲームにはBGMがなく、「キュ」「ポン」という音しか聞こえてこない。成績が良いと、いいことが起こる。(?)
「キノコ or DIE」
道路を走行する車を避けながら、キャラクターを操作し道路の向かいを目指す。途中に落ちているキノコを取るとボーナス得点が入る。タイトル画面の曲がアニメ・サザエさんの挿入曲に似ている。
「薪割り」
薪を延々と割っていく。動物やそのほかの物を割ると失敗。動物にそっくりな薪もあるので注意。失敗時の音楽はドリフのコントでズッコケの際に使われるものと似ている。
「交通量調査」
道を通り過ぎる通行人をカウントしていくゲーム。人間以外にも宇宙人や猫、戦車などが通るので、うまく人間だけをカウントしなくてはいけない。
このように、どの<バイト>も「何かを識別する」という単調さが一貫しているらしい。
これは確かに、「Amazon Mechanical Turk」にかなり近い。
このクソゲーを考えた電気グルーヴは、これらの<バイト>をできるだけ単調でくだらない、
無意味なものとして描いたのだろう。それゆえに笑えるわけだ。
それがリアル世界で成立してしまったのが、「Amazon Mechanical Turk」だ。
これはゲームではなく、その単調作業の成果を使って収益を上げる会社が、背後に実在する。
これはゲーム的に見れば、たしかに面白い。
Rin Drum Memoのpixacaoさんのように、「ほんとうに稼げるゲーム」として、
笑いながらプレイすることもできる。
しかし同時に、どこか空恐ろしい気もする。
クソゲーでギャグとして描かれるほど単調な仕事が、
リアル世界でほんとうに登場してきたわけだ。
「Amazon Mechanical Turk」と『グルーヴ地獄V』を重ねてみると、
「遊び」と「仕事」の違い、「ゲーム」と「労働」の境界などについて、考えさせられる。
その境界は、それほど自明ではないのかもしれない。
つまり、これだけ見ると「ゲームが現実化した」ようにも見えるが、
もっと大きな視点に立てば、もともと世界そのものが、ゲームみたいなものだとも言える。
仕事が単調かどうかも、しょせん程度問題ではないだろうか。
あらゆる労働は、「Amazon Mechanical Turk」や『グルーヴ地獄V』の<バイト>と、原理的には同じだ。
『グルーヴ地獄V』は、クソゲーといいながら、みごとに現実の縮図になっている。
わたしたちはみな、この世界という「大きいゲーム盤」の上で動きまわる「プレイヤー」なのだ。