2005.12.12
ファイル名はなくてもいいかもしれない
言語ゲーム - 無名ファイルシステム
http://d.hatena.ne.jp/propella/20050822/p2

<無名のファイルシステムを考える。無名とは呼んで字の如くファイルに名前がついてない事である。私達はファイルには必ずファイル名がついている物と考えているが、ファイル名には欠点がある。だからファイル名は無いほうが良い。少なくともファイル名が無くとも動作するシステムを設計するべきだという主張>。

<簡単な話ファイルをメモリのように扱うという事だ。ファイルは無名であるべきである>。

たしかに、そうかもしれない。

わたしたちはもうURLに慣れている。
いまではURLのほとんどは自動的に生成されているが、それで誰も困らない。
とにかく一意的にページやファイルを識別できればよく、自動生成でも構わない。
多くのブログツールではエントリのIDを自動生成するが、それと同じでいい。
ファイル名を自分でつける意味は、たしかにあまりなさそうに思う。

ファイルが多くなってくれば、「自分で探す」とか「自分で分類」という道はどっちみち閉ざされてくる。
自分で、手動でやるのは、タグをつけるくらいだろう。
そして探すときは、タグか、全文検索・条件検索で探せれば十分だ。というか、量が多いときはそれしかない。
こうなると、ファイル名というものにはあまり意味がないように思える。

自分でファイル名をつけたり、ツリー型のフォルダ階層を自分で作って、
ファイルを自分でそこに分類しているという今のファイルシステムは、たしかに古いような気がしてくる。

もちろん、全部のファイル名が数字の羅列みたいになってしまったらわかりにくいので、
ファイルの種類によってアイコンを変えたりといった工夫は、いま以上に必要になるだろう。
古いファイルは薄くなっていくとか、使用頻度の高いものは近くに来るとか、いろいろ工夫できそうだ。

こういう話は、OSやファイルシステムといった純粋な技術というよりもむしろ、
ユーザインターフェイスや使いやすさ、情報デザインのような領域になってくるのかもしれない。
こうなると、純粋な技術ではなく、アートに近いものになる。


アップデート(12/13) :
Life is beautiful - ビル・ゲイツの家のトイレは流そうとすると「本当に流しますか?」と警告してくる
http://satoshi.blogs.com/life/2005/12/post_6.html

著者のsatoshiさんは、マイクロソフトに在籍していた1998年、<"flat file system"(ディレクトリ構造をユーザーから完全に隠し、タグとサーチ機能を全面に出したファイルシステム)>をベースにしたOSのユーザインターフェイスを提案していたが、斬新すぎて通らなかったという。まさにこれだ。1998年には斬新すぎたかもしれないが、2005年のいまなら、これがピンとくる人は多いはず。