2006.02.10
SNSの可能性と限界
梅田本イベントの第二部、「これからのSNSとブログについて」に触発されて考えたことを書いてみます。
実際に話された議論の内容については、ログを参照してください。
以下は、単に私が考えたことに過ぎません。

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SNSの可能性と限界は、パブリッシング(公開)ではない、クローズドなコミュニケーションの可能性と限界だと思う。

公開されないので、コンテンツが第三者によってあとから発見・利用されるという「アーカイヴ性」は少なくなり、リアルタイムに近いコミュニケーションの「メッセージ性」が強い場所になる。このような「場所の特性」により、パブリッシュ志向の人はブログなどに流れるので、コミュニケーション志向の人が残りやすい気がする。

いまのところ、ブログに対して特にSNSが強いのは、グループ・コミュニケーションだと思う。ブログは多かれ少なかれ、そのブロガーの独演会、演説、あるいは独り言のようなものなので、直接のグループ形成の場にはなりにくい。

いっぽう、電話やメール、メッセンジャーのように、少数の知り合いどうしのクローズドなコミュニケーションでも、あたらしいグループの形成は起きにくい。

SNSの可能性は、そのどちらでもない、自分があまり知らない人を含むグループの形成や、その中でのコミュニケーションにあると思う。共通の関心を軸にグループを形成していく場所としては、SNSはいまもっとも有力な仕組みかもしれない。

大きなSNSになると、SNSの当初のウリだった紹介制はあまり意味がなくなってきて、idがあり、友達がいるという「自己証明」の仕組みだけが残ってきているように思う。この「自己証明」を軸にしたグループ・コミュニケーションのインフラ、というあたりが、いまのSNSの姿ではないかと思う。

ただ「自己証明」の仕組みとしては、いまやSNSのアカウントよりも、ブログのほうが強いだろう。SNSのアカウントなど、スパマーや悪い業者がいったん入り込めば、いくらでも作れる。しかし中身のあるブログを公開しつづけることは、一朝一夕にはできない。

そしてブログは「自己証明」だけでなく「自己説明」、「巨大なプロフィール」にもなる。誰かとコミュニケーションする場合、誰だって相手のプロフィールを知りたいものだろう。ブログを「自己証明」「自己説明」としてコンテンツを公開しながら、SNS的なグループ形成も可能になるような仕組み、いわば「オープンSNS」みたいなものが、これからたくさん出てくるのではないか。

いまの「はてな」は、それに近いものになりつつあると思う。はてなに限らず、アカウントを作って、ブログやブックマークなどのコンテンツを公開できる仕組みを持つサービスは、タギングなどにより総じて「ソーシャル化」しつつある。ユーザの「アイデンティティ」を自サービスにさらに引き込むために、ますますサービスを多様化してくると思う。

これまでのSNSの機能のうち、「ソーシャル」の部分はある程度、そういう「オープンSNS」的なものに流れていって、クローズドのほうがまさる直接的なコミュニケーション、メッセージ的な部分が主に、従来的なSNSに残っていくような気がする。