2006.02.14
欧米コンプレックスの消滅
最初に大リーグに入った日本人は、野茂だったろうか?
私は野球オンチなので覚えていないが、それがどえらい快挙だったという「感触」は覚えている。
アメリカのメディアに吹き荒れた「NOMO旋風」は、日本人がそれまで見たことがない「何か」だったように思う。

それ以降、野球でも、サッカーでも、有能な選手がポンポン海外流出して、それはもう「あたり前」になった感じだ。
それはもはやスポーツに限らず、いろいろな分野で、日本人の世界的活躍を見かける。
私が見かける範囲だけでもそうなのだから、おそらく日本はさまざまな分野で、世界レベルに達していることだろう。

日本が以前から進んでいるマンガやアニメ、ゲームなどはもちろんだが、スポーツ以外にも、ファッションや映画、建築、音楽など、かつては欧米が強かったさまざまな分野でも、日本は世界レベルで認められるようになってきた感じがする。

その自信により、かつては確実にあったはずの「欧米への劣等感」、その裏返しとしての「欧米へのあこがれ」みたいなものが、日本からいつのまにか消滅しつつある気がするのだ。

日本は、おそらく明治維新以来の「欧米コンプレックス」を脱しつつあるんじゃないだろうか。

「欧米コンプレックスの消滅」は、起業や株式投資などがお茶の間レベルに浸透した「ビジネスの日常化」や、名実ともに平等幻想が崩壊した「格差の顕在化」などと並んで、これまでの日本では考えられなかった「精神的風景」だと思う。

コンプレックスや挫折を経験することも大事だが、いつまでもそこに捉われていてはダメだ。
欧米コンプレックスを脱した日本は、生まれ変わりつつあるし、生まれ変われると思う。
世界における日本の地位を見れば、「世界レベル」であることはむしろ当然だし、リードするくらいでもおかしくない。

欧米にあこがれ、マネをする段階は終わり、日本は「自分自身を超える」段階に入ったのだと思う。

日本は、再発見すべき「自分」、長い歴史や文化を持っている。
それは他国が望んでも得られない、じつに大きな「資産」だ。
しかし日本は、この膨大な資産を十分活用しているとは言えない。
他国に指摘されてから自国の価値に気づくという「逆輸入」は、日本お得意のパターンだ。
それほど、これまでの日本は「自信がない国」だったのだ。

謙虚さは大事だが、自信のなさは、成長の可能性を摘んでしまう。
世界で活躍するプレイヤーは、「自分の力を信じている」からこそ、苦難を乗り越えて成果を出せる。
自信とは、うぬぼれや傲慢ではなく、「自分の力を信じる」ことだ。

欧米コンプレックスを克服し、「自分の力を信じる」ようになってくれば、
日本はひとまわり大きく成長するだろう。