2006.02.13
ネットにも「編集」が必要な理由
ネットのコンテンツは、ナマのまま投げ出されている感じのものが多く、「見やすさ」や「まとまり」に欠けている気がする(自分も決して例外ではないが…)。

これはアマチュアの大量出現、ライティング・スキルといった問題もあるが、たいていの情報はボランタリーで、制約がなく、ノーチェックで、「自由に書ける」からだと思う。プロのほうが多少スキルが身についている面はあるにせよ、プロかアマかというよりも、「自己に制約をかける」ことがむずかしいのだと思う。

「自由に書ける」ことはもちろん素晴らしいのだが、負の側面もある。ファースト・ドラフトを書いて、それをみずから推敲するようなことはなかなかむずかしいので、たいていファースト・ドラフトのまま出してしまう。ファースト・ドラフトはたいてい「長すぎる」ので、長すぎるものがそのまま出てくることになる。加工の少ない、ナマの情報にはもちろんその良さもあるが、それをそのまま出すと、読み手のほうが咀嚼する作業が多くなり、読み手の負担が大きい。

いまや希少なのは情報ではなく、時間だ。
「more」よりも「less」と言われるようになってきたのも、それを物語る。

このときの「less」はもちろん、単に少ないのではなく、エッセンスを凝縮した「less」でなければならない。
エッセンスを凝縮して、「more」を「less」にすること、それこそが「編集」だと思う。

読み手に負担をかけないように、自分のファースト・ドラフトという素材を「編集」する。
あるいは、さまざまな役に立つ情報を「編集」して、まとめ記事を作る。

ネットは紙媒体に比べて、紙面やコストの制約を受けない分、この「編集」を意識する機会が少ない。
しかし人間には寿命があり、時間は有限である。これこそ最大の「制約」だ。
だから、ネットにも「編集」が必要だと思う。

紙面やコスト以上に、人間の時間こそ、もっとも貴重な資源だ。
その貴重な資源のために、もっと「編集」しよう。