2008.05.22
西洋人にとって外国語の習得は「マッピング問題」にすぎない
アンカテの「GlobalVoicesの中の人に会って来ました」で紹介されている、クリス・サルツバーグさんという人のブログが面白い。

The blogger formerly known as 塩
http://d.hatena.ne.jp/shioyama/

このブログのタイトルもいいが、3つ入っているエントリがどれも面白い。

The blogger formerly known as 塩 - 外国語とは
http://d.hatena.ne.jp/shioyama/20071219/1203377508

<実際に触れた「外国語」というものと、育ってきた「母国語」というものとの壁を克服することは、西洋人にとって単なる「マッピング問題」にすぎないという普通の考え方が、たいして驚くことではない。そういう考え方ではつまり、外国語との壁を克服することが、外国語の言葉を一つずつ並べて、意味を母国語の意味と一つずつ合わせて、それからそのマッピングを暗記する、という行為である>。

<4年くらい前に日本に初めて来て、日本語の勉強を始めて、それから経験を積んで、だんだん日本語の言葉の意味が分かるようになってきた。それで上達するにつれて、日本語と英語との差は、フランス語と英語との差と比べるとかなり大きい、というのを気が付いてきた。また、その差を克服するということは、単なる「マッピング問題」どころか、むしろ環境や文化、社会などの歴史的な深い繋がりに関わる複雑な現実から生まれた「意味のウェブ」という、外国人として馴染みのない世界に飛ぶこと、というのである>。

まず、たった4年の学習で、これだけ自然な日本語でブログを書けるというサルツバーグさんの能力に驚いた。

私の知る限り、外国人が日本に数年住んだ程度では、日常生活で使う漢字が読めるくらいで上出来であって、これほど流暢に日本語で「書ける」というのは、ちょっと信じられない。このサルツバーグさんのブログは、日本人の普通のブロガーと比べてもまったく遜色がないと思う(むしろ語彙が多いくらいかもしれない)。

そして、ここに書かれている外国語についての知見も面白い。西洋人にとっては、外国語の習得は「マッピング問題」にすぎない、つまり単語と単語の「対応」(マッピング)を理解することにすぎないという。英語やフランス語、ドイツ語などを少しでも勉強すれば、そのことはおよそ想像はつくけれども、これだけはっきり書かれていると、やはり納得感がある。

西洋の言語と日本語では、単語の対応関係といったレベルではなく、文化や社会に根ざした発想のレベルから、根本的に違っているのだ。

関連エントリ:
漢字の可能性
http://mojix.org/2005/01/04/231854