税金を使わずに高等教育を無料化できないか
asahi.com - 国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY200805190264.html
<財務省は19日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で、国立大学予算で授業料引き上げなどによって最大5200億円を捻出(ねんしゅつ)できるとの試案を発表した>。
この記事をめぐって、面白い議論が出ている。
Thirのはてな日記 - ついに教育にも「自己責任教」が蔓延り始めましたか...
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080520/p1
幻影随想 - 私が博士課程に進学しなかった理由
http://blackshadow.seesaa.net/article/97414722.html
この2つのエントリは、国立大はその授業料の安さによって、家庭が裕福でなくても学力のみで進学できるので、格差の解消に寄与しているという立場だ。国立大への補助金が人材を育て、それが日本の国益にも寄与しているという観点でも書かれている。
andalusiaの日記 - 高等教育に税金を投入することは、格差の拡大につながらないか?
http://d.hatena.ne.jp/andalusia/20080521
いっぽうこちらのエントリは、そもそも国立大に入れる子供を育てるにはお金がかかるため、その家庭は比較的裕福であり、よってむしろ格差の拡大になるのでは、という趣旨だ。日本の大学進学率は高すぎ、大学が過剰になっているので、もっと市場原理が適用されるべきだという指摘もある。
これはとても面白い議論だと思う。それぞれのエントリがみな充実していて、面白いポイントがたくさん含まれているので、ぜひ読んでみてほしい(それぞれのはてブコメントも面白い -- 「国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案」「ついに教育にも「自己責任教」が蔓延り始めましたか...」「私が博士課程に進学しなかった理由」「高等教育に税金を投入することは、格差の拡大につながらないか?」)。
以下、これらのエントリに触発されて私が考えたことを書いてみたい。
まず基本的な立場として、私はリバタリアニズムに共感する人間なので、基本的に「税金の投入」はダメだ。政府が肥大化すれば、巨大な予算が権力化し、「公共の利益」とは別の方向に走り始める。腐敗まで行かない場合も、大きな政府は非効率の温床になる。
その意味では、国立大学に補助金を出すどころか、国立大学自体なくす(民営化する)のが理想だと私は考える(よって、国立大学法人化の方向は基本的には正しいと思う)。教育というものは、原則としては社会の成員が力をあわせてやればいいのであって、国がやる必要はないと思う。それでも義務教育レベルは仕方がない面もあるが、高等教育は民間ベースで成立すると思う。
しかし、これらはすべて原理的な理想論だ。政府が極小になり、ムダな「税金の投入」が根絶されるというのが前提である。
その意味では、国立大学への補助金はできればなくしたほうがいいが、税金の使い方としてはおそらく最もマシなほうで、もっと前になくすべきものが山ほどある。つまり、国立大学への補助金に手をつけるくらいなら、その前にやるべきことがいくらでもあるだろう、というのが私の考えで、おそらく多くの人と同じ意見だと思う。
また冒頭のasahi.comの記事では、<生まれた財源を高度な研究や人材育成、奨学金の拡充に充てるべきだとの主張も盛り込んだ>と書かれているが、これが国立大学への補助金よりも有効な投資になるかどうかは疑問だ。<生まれた財源>は納税者に返す、つまりそのぶん税金を下げるのがベストだと思うが、予算を減らすという方向には絶対に行かないのが政府というものだ。
いっぽう、私は政府を極小化すべきという立場ではあるが、教育は重視している。人材こそ価値の源泉であり、人材への投資こそ最高の「設備投資」だ。特にこれからはますます人材が重要になるので、絶対にここをケチってはいけない。これが私にとっての「基本政策」だ。
この点では、私は高等教育は無料にすべきだと考えており、これは上記「Thirのはてな日記」の論点に近い。ただし、それを国が担うのではなく、税金を使わないで、民間の力で成立させるべきだと思う。
企業はどこもいい人材を欲しいだろうし、学生も社会で通用するホンモノの力をつけたいだろうから、大学と企業はもっともっと近づいていいと思う。大学と企業がもっと近づいていけば、高等教育を無料にするのも不可能ではないはずだ。
企業やビジネスに直結しない、一般教養やリベラルアーツみたいな学問でさえ、広告やスポンサーなどの仕組みをうまく使えば、無料化できる方法はきっとあると思う。
例えば、ウィキペディアの教育効果は計り知れないものがあると思うが、これが無料である。ウィキペディアも含め、ネット全体が「教育の場」という側面を持っており、これが基本的に全部無料なのだ。
広告やスポンサー、あるいは自主性、ボランティアなど、無料のネットを成立させている仕組みを使って、大学などの高等教育まで無料化することは、決して夢物語ではないと思う。これができれば、ネットがすでにそうであるように、「意欲さえあれば、お金がなくても学習できる」という場になるから、大きな「機会の平等」を提供できて、格差の解消につながる。
税金を投入せずに高等教育を無料化できれば、収入による学習機会の格差を解消できるうえに、税金を使わないわけだから、税金の投資対効果という意味でも最高だ。
関連エントリ:
東京都の塾代融資を考える
http://mojix.org/2008/04/19/jukudai_finance
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY200805190264.html
<財務省は19日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で、国立大学予算で授業料引き上げなどによって最大5200億円を捻出(ねんしゅつ)できるとの試案を発表した>。
この記事をめぐって、面白い議論が出ている。
Thirのはてな日記 - ついに教育にも「自己責任教」が蔓延り始めましたか...
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080520/p1
幻影随想 - 私が博士課程に進学しなかった理由
http://blackshadow.seesaa.net/article/97414722.html
この2つのエントリは、国立大はその授業料の安さによって、家庭が裕福でなくても学力のみで進学できるので、格差の解消に寄与しているという立場だ。国立大への補助金が人材を育て、それが日本の国益にも寄与しているという観点でも書かれている。
andalusiaの日記 - 高等教育に税金を投入することは、格差の拡大につながらないか?
http://d.hatena.ne.jp/andalusia/20080521
いっぽうこちらのエントリは、そもそも国立大に入れる子供を育てるにはお金がかかるため、その家庭は比較的裕福であり、よってむしろ格差の拡大になるのでは、という趣旨だ。日本の大学進学率は高すぎ、大学が過剰になっているので、もっと市場原理が適用されるべきだという指摘もある。
これはとても面白い議論だと思う。それぞれのエントリがみな充実していて、面白いポイントがたくさん含まれているので、ぜひ読んでみてほしい(それぞれのはてブコメントも面白い -- 「国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案」「ついに教育にも「自己責任教」が蔓延り始めましたか...」「私が博士課程に進学しなかった理由」「高等教育に税金を投入することは、格差の拡大につながらないか?」)。
以下、これらのエントリに触発されて私が考えたことを書いてみたい。
まず基本的な立場として、私はリバタリアニズムに共感する人間なので、基本的に「税金の投入」はダメだ。政府が肥大化すれば、巨大な予算が権力化し、「公共の利益」とは別の方向に走り始める。腐敗まで行かない場合も、大きな政府は非効率の温床になる。
その意味では、国立大学に補助金を出すどころか、国立大学自体なくす(民営化する)のが理想だと私は考える(よって、国立大学法人化の方向は基本的には正しいと思う)。教育というものは、原則としては社会の成員が力をあわせてやればいいのであって、国がやる必要はないと思う。それでも義務教育レベルは仕方がない面もあるが、高等教育は民間ベースで成立すると思う。
しかし、これらはすべて原理的な理想論だ。政府が極小になり、ムダな「税金の投入」が根絶されるというのが前提である。
その意味では、国立大学への補助金はできればなくしたほうがいいが、税金の使い方としてはおそらく最もマシなほうで、もっと前になくすべきものが山ほどある。つまり、国立大学への補助金に手をつけるくらいなら、その前にやるべきことがいくらでもあるだろう、というのが私の考えで、おそらく多くの人と同じ意見だと思う。
また冒頭のasahi.comの記事では、<生まれた財源を高度な研究や人材育成、奨学金の拡充に充てるべきだとの主張も盛り込んだ>と書かれているが、これが国立大学への補助金よりも有効な投資になるかどうかは疑問だ。<生まれた財源>は納税者に返す、つまりそのぶん税金を下げるのがベストだと思うが、予算を減らすという方向には絶対に行かないのが政府というものだ。
いっぽう、私は政府を極小化すべきという立場ではあるが、教育は重視している。人材こそ価値の源泉であり、人材への投資こそ最高の「設備投資」だ。特にこれからはますます人材が重要になるので、絶対にここをケチってはいけない。これが私にとっての「基本政策」だ。
この点では、私は高等教育は無料にすべきだと考えており、これは上記「Thirのはてな日記」の論点に近い。ただし、それを国が担うのではなく、税金を使わないで、民間の力で成立させるべきだと思う。
企業はどこもいい人材を欲しいだろうし、学生も社会で通用するホンモノの力をつけたいだろうから、大学と企業はもっともっと近づいていいと思う。大学と企業がもっと近づいていけば、高等教育を無料にするのも不可能ではないはずだ。
企業やビジネスに直結しない、一般教養やリベラルアーツみたいな学問でさえ、広告やスポンサーなどの仕組みをうまく使えば、無料化できる方法はきっとあると思う。
例えば、ウィキペディアの教育効果は計り知れないものがあると思うが、これが無料である。ウィキペディアも含め、ネット全体が「教育の場」という側面を持っており、これが基本的に全部無料なのだ。
広告やスポンサー、あるいは自主性、ボランティアなど、無料のネットを成立させている仕組みを使って、大学などの高等教育まで無料化することは、決して夢物語ではないと思う。これができれば、ネットがすでにそうであるように、「意欲さえあれば、お金がなくても学習できる」という場になるから、大きな「機会の平等」を提供できて、格差の解消につながる。
税金を投入せずに高等教育を無料化できれば、収入による学習機会の格差を解消できるうえに、税金を使わないわけだから、税金の投資対効果という意味でも最高だ。
関連エントリ:
東京都の塾代融資を考える
http://mojix.org/2008/04/19/jukudai_finance