2009.01.02
ソフィスト列伝
『ソフィスト列伝』という本を読んでいる。白水社「文庫クセジュ」の1冊。

ソフィスト列伝(ジルベール・ロメイエ=デルベ著/神崎 繁、小野木 芳伸 訳)
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=05862



<プラトンやアリストテレスからの攻撃には、異議あり! 本書は、西洋形而上学のなかで「詭弁家」の烙印を押されてきたソフィスト8人の生涯と著作を紹介し、その復権へと導く>。

この紹介文にある通り、ふつう「ソフィスト」というと、「レトリック」「詭弁」「カネで知識を売る」といった、どちらかといえば悪いイメージがついている。この本はソフィストに肯定的な立場から、プロタゴラスゴルギアスなど主要なソフィストたちの思想や時代背景を語りつつ、その面白さや意義、魅力を紹介している。

文庫クセジュ」らしい、フランスの小気味よく格調高い文体が、読んでいて気持ちいい。序文からいくつか抜き出すだけで、この本の「面白い感じ」はわかってもらえると思う。

<「ソフィスト」という名前の信用が失墜しているばかりではない。ソフィストの主要な所説が提示されるにあたってこれまで典拠となってきたのは、あまりにしばしば、プラトン哲学がソフィストに加えた論駁であった。このように、ソフィストについて従来われわれが持っていたイメージは論駁による歪みの結果生じたものであり、このイメージに従うと、ソフィストは最初から敗者と決まっていて、その存在理由は誤りを犯すことでしかないということになる>。

<ソフィストが現れる以前にギリシアで教育者の役割を担ったのは詩人であった。ソフィストの活動の誕生が可能になるのは、ホメロスの朗読がもはやギリシア人にとって唯一の文化的な糧(かて)ではなくなった時である。これは、ウンターシュタイナー(『ソフィスト集成』第二巻240頁)の言うように、貴族文明の危機と時を同じくする。しかしながら、ソフィスト思潮の飛躍を可能にしたのは民主的制度であり、そのおかげでソフィスト思潮はほとんど必要不可欠なものになった。つまり、これ以後、権力の獲得には、言葉の使い方と議論の仕方を完全に身につけることが必要になったのである>。

<他方、ソフィストは知の専門家であった。知識やその教授を自分の職業および生活手段としたのは、ソフィストが最初である。この意味では、ソフィストは、現代の知識人の社会的地位を創始したと言えるのである。ソフィストの興味の対象は、文法から数学にいたるまで知のあらゆる分野に及んだと思われるが、この「学問好き」のソフィストが目指したのは、理論的な知識の伝達ではない。ソフィストの狙いは、エリート市民の政治面における人間形成ということであった>。

<結局のところ、ソフィストは諸国遍歴の思想家であった。もっとも、彼らの成功の一番の魅力的な舞台となったのはアテナイなのではあるが。ポリスからポリスへと教えてまわるうちに、ソフィストは相対主義の鋭敏な感覚を養い、歴史上初めて、批判的思考を我が物とすることができた。みずからの一種の国際的な立場のおかげで、ソフィストはポリスの狭苦しい枠を脱することができたのであり、ソフィストによる個人主義の発見も、この国際的な立場によって説明がつく。ソフィストは、いわば自ら身を運ぶことによってさまざまな思想の流通を促進したのであり、プラトンがソフィストの特徴を叙述するにあたって、好んで貿易および通過の比喩を用いたのもおそらく、ソフィストによるこの種の流通を念頭に置いてのことであろう。対話篇『ソフィスト』でプラトンが行なったソフィストに対する諸定義のうちの「三つ、つまり諸定義の半分が、商業活動に関わりを持つものである」というジェルネ(『古代ギリシアの人間学』フラマリオン社、<領域>叢書、1982、237頁)の指摘は正当である>。

私の場合、古代ギリシアの知識も欠けているので、ウィキペディアで古代ギリシアの民主政などについても調べながら、この本を読んでいる。当時の状況についても理解を深めながらソフィストの思想を知ると、さらに面白さが増す感じだ。

ソフィストの思想・あり方には、レトリックや演説という「技術」、真実に対する唯一的でなく相対主義的な捉え方、知識やスキルを「売る」ことなど、さまざまな点で今日的な意義を持っているものが多数見つけられる。