2009.01.23
「東京タワー」の名称はどのように決まったか
ウィキペディア - 東京タワー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1..



ウィキペディアの「東京タワー」のページにある、名称決定の経緯が面白い。

<「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,260通の応募が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王(今上天皇)の成婚が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。しかし名称の査会に参加した徳川夢声が「ピタリと表しているのは「東京タワー」を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果「東京タワー」に決定した。なお、「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%)だった>。

公募でいちばん多かった名称は「昭和塔」(!)。もしこの名前になっていたら、かなりイメージ違っていたなあ。

応募が少なかった「東京タワー」という案を、「ピタリと表しているのは「東京タワー」を置いて他にありませんな」と徳川夢声が推してくれたおかげで、この名前に決まったわけだ。ネーミングというクリエイティブな創造には、「集合知」よりも専門家のセンスが上回るということだろう。

徳川夢声
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3..

<徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる>。

「徳川夢声」という名前は聞いたことがあったが、こんなに面白そうな人だったとは。この人なら、ネーミングもうまいはずだ。

末尾からリンクがある、以下の論文がじつに詳しくて、面白い。

徳川夢声-戦後メディア界の寵児- 1997年度卒業論文(濱田研吾)
http://salsa.sakura.ne.jp/data/html/bunko/soturonyouyaku/20030926224156.html