2009.01.24
すべての労働者が「自分の労働力を管理する会社」を持つようにしたら、どうなるか
すべての労働者が「自分の労働力を管理する会社」を持つようにしたら、どうなるだろうか。

以下、「自分の労働力を管理する会社」を「自分会社」と呼ぶ。

例えばジョンという労働者は、ジョン自身の労働力を管理する自分会社「ジョン社」を持つ。「ジョン社」のビジネスは、ジョンの労働力を提供するというものだ。

ジョンはIT企業「ビッグソフト」に入ることになったとする。ここで通常であれば、ビッグソフトという法人と、ジョンという個人の2者が雇用契約を結ぶことになる。しかし「自分会社」の社会では、契約に個人が出てくることはなく、ビッグソフトという法人と、ジョン社という法人の契約になるのだ。

すべての労働者がジョン社のような「自分会社」を持ち、これを通して勤め先の会社と契約するようにすれば、雇用契約はすべて会社間の契約になる。

すべての労働者は「自分会社」のオーナー(100%株主)であり、その経営者なのだ。1人で複数の会社を立ち上げて、「自分会社」以外の会社を持つことも可能である。それを自分で経営する場合は、「自分会社」との契約を通じて、経営サービスを提供するかたちにする。

例えば、上記のビッグソフトが誰かの「自分会社」でなければ、そこに「社員」はいない。ビッグソフトを経営しているトムは、ビッグソフトと経営サービスの契約を結んだ自分会社「トム社」の人間だ。ビッグソフトのオーナーはポールで、ポールは自分会社「ポール社」のほかに、ビッグソフトを立ち上げたのだ。

ポールはビッグソフトのオーナーだが、自分よりもトムのほうが経営手腕があると見込んで、ビッグソフトの経営をトムに任せた(正確には、ビッグソフトとトム社は経営サービスを契約した)。しかしその後、もしビッグソフトの経営がうまくいかなければ、トムはクビになり(トム社との契約は打ち切られ)、ポールは別の経営者(経営サービスを提供している別の「自分会社」)を探すことになる。

このような社会では、「労使の対立」というものは存在しない。すべての労働者は「自分会社」のオーナー(株主)兼経営者であり、これ以外の「雇用関係」は存在しないからだ。「自分会社」では、「労使」がいずれも自分なのである。

「自分会社」は、自分自身を終身雇用し、絶対に解雇できない。自分の給料は、「自分会社」の業績に連動する。「労使」がいずれも自分なので、「給料が安い」といった労働者の不満、「社員の働きが悪い」といった経営者の不満も起きない。

店に行って何かを買うとき、誰だって、自分が欲しいと思ったものだけを買い、欲しいと思わないものは買わない。それが「市場取引」であり、市場はこうした無数の取引でできている。

上記のような「自分会社」の社会では、誰もが「株主兼経営者」であり、自分の労働力を「市場で売る」ことになる。こうなれば、「労使」という対立構造にまどわされることなく、自分の労働力、自分が生み出せる価値というものに正面から向かい合い、それを努力によって向上させようと考えるだろう(いま自営やフリーランスの人にとっては、すでにあたり前のことだ)。また市場のなかで直接取引することで、会社や市場経済といったメカニズムについても、より深く理解できるようになる。

民間会社の労働者だけでなく、公務員などもみな「自分会社」を通じて「政府」と契約するようにする(なお、「政府」の株主は有権者全員である)。公務員の終身雇用をなくして、契約の更新や金額もすべて1年ごとに見直すようにすれば、税金のムダ使いも大きく減るだろう。政府を徹底的に小さな「会社」単位に分解し、カネの流れを透明化すれば、どこでムダが出ているかも一目瞭然になる。

最近は連日のように雇用問題が話題になり、弱者を生んだ元凶として、しばしば企業・経営者が悪者になる。しかし、日本の法人税はすでに世界一高いのであり、さらに雇用規制をはじめ、産業ごとの規制などもガチガチに入っている状態だ。日本の真の問題は「強すぎる規制」と「高すぎる税金」なのであり、それによって日本経済の成長性が失われている。この意味では、企業・経営者はむしろ弱い立場なのであって、いわば「政府に搾取されている」のだ。

格差を問題視し、それを規制や課税で強制的に解消しようとすればするほど、「強すぎる規制」と「高すぎる税金」という真の問題をいっそう強化してしまう。政府はますます大きく、経済はますます弱くなるのだ。政府は税金で支えられているから、経済が弱くなれば税金も入らなくなり、そのうち国全体が潰れる。強い規制・高い税金は、国の経済にとって自殺行為なのだ。

「自分会社」の社会では、すべての労働者は「会社」になるので、労使対立や雇用格差という構造が消え去る。これをいまの日本にあてはめて、すべての労働者は「会社」だという目で眺めてみれば、いまの日本が抱える問題がわかりやすくなるだろう。通常の市場取引では、<自分が欲しいと思ったものだけを買い、欲しいと思わないものは買わない>。この「通常の市場取引」では起こりえないことが起きている部分、「欲しいと思わないのに強制的に買わされている」部分が、日本の「問題箇所」なのだ。


関連エントリ:
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice
フェアな競争こそが、価値と生産性を引き出す
http://mojix.org/2008/10/18/fair_competition