アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)と左翼アナキズムの違い、プルードンの「矛盾」
斉藤悦則 - インターネット上におけるアナーキズム論争
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/anarcap.html
リバタリアニズムのひとつに位置づけられる、国家の存在を認めないアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)と、左翼的なアナキズムのあいだで起きた論争について解説した記事。
著者の斉藤悦則氏は、プルードンを中心とした社会思想の専門家とのこと。ネットにはリバタリアニズムやアナルコ・キャピタリズムを解説したものもそれなりにあるが、基本的にその信奉者が書いているパターンが多い。この記事は、アナルコ・キャピタリズムについて多くの有益な情報を含んでいるうえに、アナルコ・キャピタリズムと左翼アナキズムの違いをわりと中立的な視点で解説している点で、貴重なものだと思う。
この中に、左翼アナキストがアナルコ・キャピタリズムに対して、<アナルコ・キャピタリズムはアナーキズムの一種ではない>、<アナルコとキャピタリズムをハイフンで結ぶのは「白い黒板」のように語義矛盾であり許されない>と評した、という話がある。私も初めてリバタリアニズムに触れ、アナルコ・キャピタリズムという思想の存在を知ったときは、「なぜアナキズムと資本主義が結びつくのか?」と不思議な気がしたものだ。
いまや、私にとってはリバタリアニズムやアナルコ・キャピタリズムの考え方は「自然」で「あたりまえ」のものと感じるようになったが、普通の人にとっては、「なぜアナキズムと資本主義が結びつくのか?」という感覚のほうがやはり自然だと思う。
この解説文に見られる斉藤氏のバランス感覚は、どうやら氏の主要な研究対象であるプルードンのバランス感覚でもあったらしい。
ウィキペディア - ピエール・ジョセフ・プルードン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94..
<ピエール・ジョセフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon;1809年1月15日 - 1865年1月19日)は、フランスの社会主義者。無政府主義の父と言われる>。
この解説ページに、プルードンの考え方をあらわすものとして、以下の一文がある。
<私的所有の弊害を共有制でのりこえようとすれぱ、かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、個人の自由が抑圧されることになると見ぬいた。コミュニズムという言葉そのものがすでに個人の抑圧を含意している>。
これは「矛盾と生きる――プルードンの社会主義――」という斉藤氏のプルードン解説から引用されたものだが(この解説も実に面白い)、プルードンは「私的所有」と「共有制」のどちらにも限界があることを認識していた人らしい。
<「所有とは盗み」という言葉で有名になったプルードンである。しかし、彼の晩年の言葉によれば「所有とは自由」である。一方には激しい所有非難があり、他方には所有の礼賛がある。たしかに、彼の言葉の不整合をあげつらって、プルードンを「生きた矛盾」だなどと批判するのは簡単だ。また、プルードンを救うつもりで、彼の晩年の所有擁護を単なる逸脱とみることも不可能ではない。しかし、プルードンはわけもわからぬうちに矛盾におちいったわけでもなけれぱ、晩年になって自説を曲げたわけでもない。プルードンの思想のおもしろさは、彼自身が積極的に矛盾にこだわった点にある>。
これは面白い。「インターネット上におけるアナーキズム論争」によると、経済学者ブライアン・キャプラン(Bryan Caplan)は、<プルードンを左翼アナーキストおよびアナルコ・キャピタリストの両方にまたがる思想的源流として位置づけ>ているという(なお、キャプランはアナルコ・キャピタリストとしても知られている)。
<19世紀の思想家プルードンはマルクスの論敵であり,近代アナーキズムの始祖ともいわれる人物である。「所有とは盗みである」という言葉によって知られ,社会主義者の範疇に含められる。これが社会思想史のまずは一般常識であった。ところが,キャプランはこのプルードンを左翼アナーキストおよびアナルコ・キャピタリストの両方にまたがる思想的源流として位置づける(それによってアナルコ・キャピタリストをアナーキストの一派と見なす判定の根拠にもしている)>。
たしかに、<私的所有の弊害を共有制でのりこえようとすれぱ、かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、個人の自由が抑圧されることになる>というプルードンの見方は、まったくリバタリアンの見方そのままであって、なぜこんな人が「社会主義者」なのか、不思議に思えるほどだ。まさに、そういう「矛盾」がプルードンという人の魅力なのだろう。
解説ページには、<『人民銀行』という名の相互信用金庫を創設するとともに会員相互に通用する地域通貨を発行した>とも書いてある。このあたりも、「人民」とか「労働者団結」みたいな左翼的ニュアンスもありながら、銀行や通貨を作ってしまう辺りはリバタリアンっぽくもある(国家による計画よりも、民間の市場経済を重視する態度)。プルードンはこれまで名前くらいしか知らなかったが、かなり面白そうな人だ。
関連:
ウィキペディア - アナキズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2..
ひとくちに「アナキズム」と言っても、すごく幅があり、多様なことがわかる。
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/anarcap.html
リバタリアニズムのひとつに位置づけられる、国家の存在を認めないアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)と、左翼的なアナキズムのあいだで起きた論争について解説した記事。
著者の斉藤悦則氏は、プルードンを中心とした社会思想の専門家とのこと。ネットにはリバタリアニズムやアナルコ・キャピタリズムを解説したものもそれなりにあるが、基本的にその信奉者が書いているパターンが多い。この記事は、アナルコ・キャピタリズムについて多くの有益な情報を含んでいるうえに、アナルコ・キャピタリズムと左翼アナキズムの違いをわりと中立的な視点で解説している点で、貴重なものだと思う。
この中に、左翼アナキストがアナルコ・キャピタリズムに対して、<アナルコ・キャピタリズムはアナーキズムの一種ではない>、<アナルコとキャピタリズムをハイフンで結ぶのは「白い黒板」のように語義矛盾であり許されない>と評した、という話がある。私も初めてリバタリアニズムに触れ、アナルコ・キャピタリズムという思想の存在を知ったときは、「なぜアナキズムと資本主義が結びつくのか?」と不思議な気がしたものだ。
いまや、私にとってはリバタリアニズムやアナルコ・キャピタリズムの考え方は「自然」で「あたりまえ」のものと感じるようになったが、普通の人にとっては、「なぜアナキズムと資本主義が結びつくのか?」という感覚のほうがやはり自然だと思う。
この解説文に見られる斉藤氏のバランス感覚は、どうやら氏の主要な研究対象であるプルードンのバランス感覚でもあったらしい。
ウィキペディア - ピエール・ジョセフ・プルードン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94..
<ピエール・ジョセフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon;1809年1月15日 - 1865年1月19日)は、フランスの社会主義者。無政府主義の父と言われる>。
この解説ページに、プルードンの考え方をあらわすものとして、以下の一文がある。
<私的所有の弊害を共有制でのりこえようとすれぱ、かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、個人の自由が抑圧されることになると見ぬいた。コミュニズムという言葉そのものがすでに個人の抑圧を含意している>。
これは「矛盾と生きる――プルードンの社会主義――」という斉藤氏のプルードン解説から引用されたものだが(この解説も実に面白い)、プルードンは「私的所有」と「共有制」のどちらにも限界があることを認識していた人らしい。
<「所有とは盗み」という言葉で有名になったプルードンである。しかし、彼の晩年の言葉によれば「所有とは自由」である。一方には激しい所有非難があり、他方には所有の礼賛がある。たしかに、彼の言葉の不整合をあげつらって、プルードンを「生きた矛盾」だなどと批判するのは簡単だ。また、プルードンを救うつもりで、彼の晩年の所有擁護を単なる逸脱とみることも不可能ではない。しかし、プルードンはわけもわからぬうちに矛盾におちいったわけでもなけれぱ、晩年になって自説を曲げたわけでもない。プルードンの思想のおもしろさは、彼自身が積極的に矛盾にこだわった点にある>。
これは面白い。「インターネット上におけるアナーキズム論争」によると、経済学者ブライアン・キャプラン(Bryan Caplan)は、<プルードンを左翼アナーキストおよびアナルコ・キャピタリストの両方にまたがる思想的源流として位置づけ>ているという(なお、キャプランはアナルコ・キャピタリストとしても知られている)。
<19世紀の思想家プルードンはマルクスの論敵であり,近代アナーキズムの始祖ともいわれる人物である。「所有とは盗みである」という言葉によって知られ,社会主義者の範疇に含められる。これが社会思想史のまずは一般常識であった。ところが,キャプランはこのプルードンを左翼アナーキストおよびアナルコ・キャピタリストの両方にまたがる思想的源流として位置づける(それによってアナルコ・キャピタリストをアナーキストの一派と見なす判定の根拠にもしている)>。
たしかに、<私的所有の弊害を共有制でのりこえようとすれぱ、かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、個人の自由が抑圧されることになる>というプルードンの見方は、まったくリバタリアンの見方そのままであって、なぜこんな人が「社会主義者」なのか、不思議に思えるほどだ。まさに、そういう「矛盾」がプルードンという人の魅力なのだろう。
解説ページには、<『人民銀行』という名の相互信用金庫を創設するとともに会員相互に通用する地域通貨を発行した>とも書いてある。このあたりも、「人民」とか「労働者団結」みたいな左翼的ニュアンスもありながら、銀行や通貨を作ってしまう辺りはリバタリアンっぽくもある(国家による計画よりも、民間の市場経済を重視する態度)。プルードンはこれまで名前くらいしか知らなかったが、かなり面白そうな人だ。
関連:
ウィキペディア - アナキズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2..
ひとくちに「アナキズム」と言っても、すごく幅があり、多様なことがわかる。