2009.02.08
日本は「未成熟な資本主義」、アメリカは「行き過ぎた資本主義」
アゴラ beta - 危険な方向に向かっている振り子 - 松本徹三
http://agora-web.jp/archives/430798.html

<そもそも資本主義と言っても色々あり、「未成熟な資本主義」「普通の資本主義」「行き過ぎた資本主義」があるように思います。一言で言えば、資本主義の基本理念である「市場原理」を官僚などが過度に規制して、「失われた十年」をもたらした「これまでの日本型資本主義」が、「未成熟な資本主義」であり、いつの日か破綻することが必須のバブル経済を野放図に放置して、今回の危機を招いた「アメリカ型レバレッジ金融資本主義」が、「行き過ぎた資本主義」であると言えるでしょう。目標とすべきは、市場原理を適度に規制する「普通の資本主義」であるべきですが、どのような規制が「適度な規制」であるかは、勿論難しい問題です。小泉-竹中路線にも、行き過ぎへと進みかねない「市場原理信奉への過度の傾斜」がなかったとは言い切れず、それへの批判は当然あって然るべきですが、だからと言って、「適度な規制のあり方」を真面目に論ずることもなく、ドサクサ紛れに振り子を逆方向に精一杯振って、日本を「失われた十年」の時代へと逆戻りさせようとするような動きには、憤りを感じます>。

私もこの見方に賛成だ。

今回の金融危機と世界同時不況を見て、「やはり市場原理主義は間違いだった」みたいな反応がたくさん出てきており、ここで松本氏も書いているように、それに乗じて「以前の日本型システムに戻せ」という声すら目立つようになってきている。

日本におけるこの「反動」の理由は、金融危機の震源地であるアメリカにおいて金融規制の声が強まっている理由と、根本的に異なるのだ。アメリカのほうの理由は、松本氏が書いているように、「行き過ぎた」面があったことによるだろう。「自由」が「放蕩」のレベルにまで達していたわけだ。

しかし日本のほうは、「行き過ぎた」どころか、「まだ達していない」状態なのだ。従来の日本型システムという「全体主義」から少しずつ脱却し、自由を拡大する方向に改革を進めてきたが、日本の市場経済はまだ「自由」にはほど遠い状態であり、まさに「未成熟な資本主義」なのだ。

つまり日本では、そもそも「自由」「市場」「競争」「資本主義」といった価値観や仕組み、「民間による自由な経済が主導する社会」というビジョンが、まだ十分に受け入れられていない。以前の日本型システムという「全体主義」、個人の自由を放棄して「お上」に差し出し、それとひきかえにパターナリズム(温情主義)の「保護」を受けるという、バラマキ的な中央集権体制に戻りたがる傾向が、まだまだ根強いのだ。

このように、「行き過ぎた資本主義」のアメリカと、「未成熟な資本主義」の日本では、もともとの「到達度」が違う。しかし、以前の日本型システムを良しとする守旧派は、はじめから小泉-竹中の改革路線が嫌いだったから、今回の金融危機と世界同時不況を見て、ここぞとばかりに「古い日本に戻れ」と言い始めたわけだ。

このところ、「かんぽの宿」の問題や、麻生首相の「郵政民営化反対」発言など、小泉-竹中の改革路線に対してケチがつく動きが強まっている。もし手続きに問題があったのであれば、そこはもちろん対処する必要があるが、どうも改革や民営化という方向そのものを否定するような、反動的な論調が強まっているように感じられる。小泉-竹中の改革路線ではおとなしくしていた「古い日本に戻れ」という勢力が、また声を上げ始めたということだろう。

私も小泉-竹中の改革路線が完全無欠だったとは思わないが、方向としては基本的に正しかったと思っている。それは「行き過ぎ」どころか、「まだまだ改革が足りない」のであり、労働改革や公務員改革、さまざまな規制緩和など、やるべきことが大量に残っている。その意味では、日本は当面のところ、むしろ「アメリカを見習う」くらいでちょうどいいと思う。

「市場原理主義は間違いだった」などと言う人は、たいてい「市場原理主義」を理解していない。どんな市場原理主義者・自由主義者であっても、ルールや規制が一切不要だなどという人は1人もいない。独占禁止法をはじめ、公正な市場を守るために必要な法規制もある。市場原理主義者や自由主義者は、あらゆる規制に反対するのではなく、市場や自由を損なう規制に反対するのだ(「「規制脳」は国を滅ぼす」)。

今回の金融危機は、「公正な市場を守るための規制」が足りなかったために、イカサマみたいな金融商売を許したのが原因だろう。だからといって、市場そのものが間違っていたわけでもないし、あらゆる規制が望ましいわけでもない。アメリカは、市場というものを基本的に肯定したうえで、それを守るための規制を検討しているのだ。しかし日本では、そこの区別をつけずに、「市場原理主義は間違いだった」式の、市場や自由そのものを否定するような反動的な意見が強まっているわけだ。