「規制脳」は国を滅ぼす
現状が望ましくないとき、それを望ましい方向に動かすためには「規制を増やせばいい」、という考え方は危険だ。こういう規制好きの考え方を「規制脳」と名づけたい。
「規制脳」の人は、非正規雇用の人たちがたくさんクビになっていると見るや、「企業を規制して、クビにしにくくすればいい」と考える。
こんな規制ができたら、企業は非正規雇用の人の採用をさらに減らすだろう。
すると「規制脳」の人は、「企業を規制して、採用を強制すればいい」と考える。企業規模などに応じて、採用を強制するわけだ。
こんな規制ができたら、企業の生産性は下がり、倒産も増える。起業の敷居も高くなって、起業も減るだろう。
すると会社の数は減る一方なので、当然雇用も減りつづけ、失業者は増える一方だ。
すると「規制脳」の人は、なるべく雇用を増やすために、高い給料を規制したり、企業の内部留保を規制して、無理やり雇用を作ろうとする。
こうなれば会社はますます経営しにくくなり、有能な人も稼ぎが制限されてしまうので、会社や人材の国外流出が進む。
すると「規制脳」の人は、会社や人材の国外流出を規制しようとする。というふうに、この話はどこまでも進む。
こういう「規制脳」の考え方でとことん進んだのが、ジンバブエだ。規制の積み重ねで市場経済が機能しなくなり、国自体が危うくなっている。
日本にとって、ジンバブエはまったく他人事でない。私の見るところ、日本人はかなり「規制脳」に犯されており、市場経済が「個人の自由」と深く結びついていることがあまり理解されていない。むしろ、「自由を規制した先に、望ましい秩序があらわれる」という考え方が根強いと思う。この考え方は、計画経済や全体主義になびきやすい。
規制を増やすと、(1)規制を維持するコストが増える、(2)行動の自由が減る、という2つのデメリットがある。(1)のコストはけっきょく税金で払うので、要するに税金が上がる。(2)は、例えば企業への規制であっても、それによって商品の値段が上がったり、雇用が減ったりして、けっきょくは個人にはねかえってくるので、個人の自由やお金が減ることになる。
規制を増やせば、より多くの税金を払って、自分の自由やお金も減らすことになる。だから、規制は本当に必要なものだけに、最小限に留めておく必要がある。「本当に必要な規制」とは、人命や基本的人権にかかわるもの、自由な経済活動を守るためのものなど、いわば「自由を守るための規制」だ。
日本では、本当に必要な範囲を超えて、ある方向に強制的に誘導しようとするだけの規制が多い。しかし、これは大抵うまくいかない。規制はむしろ裏目に出て、望ましい方向と反対に動いたり、産業を弱体化させたり、労働者の意欲を失わせたりする。また規制というものは自由競争を阻害するので、必ずそこに権益が生まれる。全体が犠牲になり、一部の人が優先されるのだ。いったん権益が生まれてしまえば、既得権益者はこの規制を支持しつづける。さらに、この規制はしばしば「正義の顔」をしてあらわれるので、既得権益者だけでなく、「いい人」や「正義感の強い人」までがこの規制を支持してしまう。こうなってしまうと、この規制をひっくり返すことは容易でない。
経済とはつまるところ、人間でできている。経済を規制で動かすことができないのは、人間を命令で動かすことができないのと同じだ。子供をもっと勉強させたいなら、「勉強しろ!」と怒鳴るのではなく、勉強の面白さに気づかせ、みずから勉強したいと思わせる必要がある。規制を増やすことで経済をコントロールできると考える「規制脳」は、子供を説教でコントロールできると考える親に似ている。
命令が人間のモチベーションを失わせるのと同じように、規制は経済を失速させる。規制をどんどん増やせば、経済はどんどん失速していき、最後はジンバブエに至る。日本経済が復活するためには、まず日本人が「規制脳」から脱却する必要がある。規制をどんどんなくして、新規参入や競争を活発にしていけば、必ず面白い商品やサービスが出てきて、需要も喚起されるはずだ。規制を積み重ねて自由を減らすのではなく、規制をなくして自由を増やすことで、新しい価値が生まれてくる。
関連エントリ:
「雇用を守れ」という声が、日本の「労働者カースト構造」を強化している
http://mojix.org/2008/12/21/japan_workers_caste
「規制で経済を動かそう」という愚かな発想
http://mojix.org/2008/12/16/kisei_oroka
フェアな競争こそが、価値と生産性を引き出す
http://mojix.org/2008/10/18/fair_competition
雇用規制をこれ以上強めれば、日本は本当に終わる
http://mojix.org/2008/06/13/no_more_regulation
「規制脳」の人は、非正規雇用の人たちがたくさんクビになっていると見るや、「企業を規制して、クビにしにくくすればいい」と考える。
こんな規制ができたら、企業は非正規雇用の人の採用をさらに減らすだろう。
すると「規制脳」の人は、「企業を規制して、採用を強制すればいい」と考える。企業規模などに応じて、採用を強制するわけだ。
こんな規制ができたら、企業の生産性は下がり、倒産も増える。起業の敷居も高くなって、起業も減るだろう。
すると会社の数は減る一方なので、当然雇用も減りつづけ、失業者は増える一方だ。
すると「規制脳」の人は、なるべく雇用を増やすために、高い給料を規制したり、企業の内部留保を規制して、無理やり雇用を作ろうとする。
こうなれば会社はますます経営しにくくなり、有能な人も稼ぎが制限されてしまうので、会社や人材の国外流出が進む。
すると「規制脳」の人は、会社や人材の国外流出を規制しようとする。というふうに、この話はどこまでも進む。
こういう「規制脳」の考え方でとことん進んだのが、ジンバブエだ。規制の積み重ねで市場経済が機能しなくなり、国自体が危うくなっている。
日本にとって、ジンバブエはまったく他人事でない。私の見るところ、日本人はかなり「規制脳」に犯されており、市場経済が「個人の自由」と深く結びついていることがあまり理解されていない。むしろ、「自由を規制した先に、望ましい秩序があらわれる」という考え方が根強いと思う。この考え方は、計画経済や全体主義になびきやすい。
規制を増やすと、(1)規制を維持するコストが増える、(2)行動の自由が減る、という2つのデメリットがある。(1)のコストはけっきょく税金で払うので、要するに税金が上がる。(2)は、例えば企業への規制であっても、それによって商品の値段が上がったり、雇用が減ったりして、けっきょくは個人にはねかえってくるので、個人の自由やお金が減ることになる。
規制を増やせば、より多くの税金を払って、自分の自由やお金も減らすことになる。だから、規制は本当に必要なものだけに、最小限に留めておく必要がある。「本当に必要な規制」とは、人命や基本的人権にかかわるもの、自由な経済活動を守るためのものなど、いわば「自由を守るための規制」だ。
日本では、本当に必要な範囲を超えて、ある方向に強制的に誘導しようとするだけの規制が多い。しかし、これは大抵うまくいかない。規制はむしろ裏目に出て、望ましい方向と反対に動いたり、産業を弱体化させたり、労働者の意欲を失わせたりする。また規制というものは自由競争を阻害するので、必ずそこに権益が生まれる。全体が犠牲になり、一部の人が優先されるのだ。いったん権益が生まれてしまえば、既得権益者はこの規制を支持しつづける。さらに、この規制はしばしば「正義の顔」をしてあらわれるので、既得権益者だけでなく、「いい人」や「正義感の強い人」までがこの規制を支持してしまう。こうなってしまうと、この規制をひっくり返すことは容易でない。
経済とはつまるところ、人間でできている。経済を規制で動かすことができないのは、人間を命令で動かすことができないのと同じだ。子供をもっと勉強させたいなら、「勉強しろ!」と怒鳴るのではなく、勉強の面白さに気づかせ、みずから勉強したいと思わせる必要がある。規制を増やすことで経済をコントロールできると考える「規制脳」は、子供を説教でコントロールできると考える親に似ている。
命令が人間のモチベーションを失わせるのと同じように、規制は経済を失速させる。規制をどんどん増やせば、経済はどんどん失速していき、最後はジンバブエに至る。日本経済が復活するためには、まず日本人が「規制脳」から脱却する必要がある。規制をどんどんなくして、新規参入や競争を活発にしていけば、必ず面白い商品やサービスが出てきて、需要も喚起されるはずだ。規制を積み重ねて自由を減らすのではなく、規制をなくして自由を増やすことで、新しい価値が生まれてくる。
関連エントリ:
「雇用を守れ」という声が、日本の「労働者カースト構造」を強化している
http://mojix.org/2008/12/21/japan_workers_caste
「規制で経済を動かそう」という愚かな発想
http://mojix.org/2008/12/16/kisei_oroka
フェアな競争こそが、価値と生産性を引き出す
http://mojix.org/2008/10/18/fair_competition
雇用規制をこれ以上強めれば、日本は本当に終わる
http://mojix.org/2008/06/13/no_more_regulation