「再販制」という反消費者制度
きのうのエントリ「「規制脳」は国を滅ぼす」には、かなりの反響があった。これの前半では雇用規制を例に使ったが、このエントリの趣旨自体は、雇用規制に限らず、さまざまな規制に適用できるものだ。
そこでも書いた通り、必要な規制もあることは言うまでもない。問題なのは、日本では規制が必要な範囲を超えて過剰に作られており、それが自由な経済活動を阻害したり、既得権益を生み出して全体に不利益をもたらしている、ということだ。
先日J-CASTニュースに、「再販制」への反対論者として知られる鶴田俊正氏へのインタビューが出ていた。
J-CASTニュース - 新聞を法律で守る必要あるのか 「再販制」という反消費者制度
http://www.j-cast.com/2009/01/04032982.html
<読書週間が始まった2008年10月27日、河村建夫・官房長官は記者会見で、新聞の再販制度について触れ、「制度維持することが文字・活字文化を維持することにつながる」と語った。新聞を「自由な競争」から守るという再販制度。新聞は特別に守る必要があるのだろうか。公正取引委員会の「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」座長も務めた、鶴田俊正・専修大名誉教授(産業組織論)に話を聞いた>。
再販制とは、書籍や新聞、音楽CDなどの定価販売を日本で維持させている仕組みだ。
再販売価格維持
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D..
<再販売価格維持(さいはんばいかかくいじ、resale price maintenance)とは、ある商品の生産者または供給者が卸・小売業者に対し商品の再販売価格を指示し、それを遵守させる行為。 再販売価格維持行為(再販行為)、再販売価格の拘束とも呼ぶ。
要はメーカーが小売業者に対し商品の値引き販売を許さないことをいう。
再販売価格維持は流通段階での自由で公正な競争を阻害し、需要と供給の原則に基づく正常な価格形成を妨げて消費者利益を損なうため、資本主義経済を取る国の多くでは独占禁止法上原則違法とされている。但し例外的に一部商品については一定の要件の元に再販行為を容認している場合があり、それを再販制度と通称する>。
ここにもあるように、再販制は自由で公正な競争に反するもので、経済の憲法とも言われる独占禁止法にも反している(「不公正な取引方法」に含まれる)。この再販制を世界でもっとも強く保持しているのが日本なのだ。
鶴田俊正氏はかつて、三輪芳朗氏・金子晃氏とともに、ナベツネから国会の場で「三悪人」と名指しで批判された。
三輪芳朗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89..
<1995年から1997年にかけて行政改革委員会規制緩和小委員会で委員を務め、規制緩和と再販制度の廃止を主張し、日本新聞協会の渡邉恒雄と激しく対立。渡邉から鶴田俊正(専修大学教授)・金子晃(慶應義塾大学教授 ※当時)と共に国会で「三悪人」と糾弾される>。
このJ-CASTのインタビューでも、その話が出てくる。
<1996年6月の規制緩和に関する衆院の特別委員会に参考人として出席した渡辺さんが、私を含め3人の学者の名前を挙げ「新聞なんかつぶしてやりたいと思っている、3人のイデオローグがいる」と言われました。私たちの議論を「大々的に報じない」のは、「オウム真理教の教祖の理論を長々と書かないのと同じ」なんていう表現もありました>。
<しかし、私の記憶では上のようなやりとりを新聞はどこも報じなかった。私たち学者の議論に反対するのは勿論自由です。しかし、日頃は他業種の競争政策に関しては「価格を決めるのは市場や消費者」などと規制緩和を社説などで主張しながら、自分たちのこととなると「社会の公器だから」などと特別扱いを求め、反対意見も公平に扱おうとしない。こんな姿勢には当時から疑問を感じていました>。
<私たちは、独自性がある新聞なら、再販制をなくしても破壊的価格競争にはならないと訴えていました。「新聞をつぶしたい」なんてとんでもない。新聞が消費者ニーズに敏感になり、その上でがんばってほしいと思っていたのです>。
そして、「渡辺さんは、なぜあそこまで強く再販廃止に反対したのでしょうか」というインタビュアーの質問に、鶴田氏はこう答えている。
<新聞の営業政策の根幹を揺るがす、と感じたのでしょう。自分たちの新聞だけを売る、つまり専売店に部数増を強く求め、大部数を維持し、それによって広告の価値をあげていくビジネスモデルですね。そして部数増のため、(販売)拡張団による強引な勧誘や景品配りをする。新聞の中身や価格で競争していないのです。まあ、拡張団の活動は現在では以前のように強引ではないようですが。いずれにせよ、そういう形で築いてきたものが崩れていくと心配されて大反対したのでしょう>。
この「三悪人」発言から10年以上経った現在、新聞社の経営状態は惨憺たる状態で、各社ともビジネスモデル自体の変更を余儀なくされている。これはもちろん、ネット普及による「紙離れ」などもあるだろうが、「再販制」という反競争的な規制によって新聞という産業が保護されつづけたため、経営がそこにあぐらをかき、時代への柔軟な対応力を欠いた結果であるとも言えるだろう。
なお新聞の再販制については、上記の三輪芳朗氏のサイトに面白い記事がたくさんある(「著作物再販制問題が提起したもの:望ましい新聞・出版流通のために議論すべき点は何か」など)。
私には、再販制と雇用規制が重なって見える。再販制は「文化を守る」というお題目のもと、本や新聞などの価格を強制し、市場競争から「保護」する。しかしこれが逆に産業を弱体化させ、けっきょく消費者もソッポを向くので、むしろ文化は破壊されてしまう。雇用規制は、「雇用を守る」というお題目のもと、企業に雇用を強制し、社員を市場競争から「保護」する。しかしこれが企業・社員いずれの競争力も失わせ、正規雇用も減って雇用格差が生じて、むしろ雇用は破壊されてしまう。
再販制も雇用規制も、市場の力を理解せず、むしろ市場を敵視して、強制的な規制によって市場から何かを「守る」という発想が似ている。それを私は「規制脳」と呼びたいのだ。「規制脳」とはまさに「小さな計画経済」である。
そこでも書いた通り、必要な規制もあることは言うまでもない。問題なのは、日本では規制が必要な範囲を超えて過剰に作られており、それが自由な経済活動を阻害したり、既得権益を生み出して全体に不利益をもたらしている、ということだ。
先日J-CASTニュースに、「再販制」への反対論者として知られる鶴田俊正氏へのインタビューが出ていた。
J-CASTニュース - 新聞を法律で守る必要あるのか 「再販制」という反消費者制度
http://www.j-cast.com/2009/01/04032982.html
<読書週間が始まった2008年10月27日、河村建夫・官房長官は記者会見で、新聞の再販制度について触れ、「制度維持することが文字・活字文化を維持することにつながる」と語った。新聞を「自由な競争」から守るという再販制度。新聞は特別に守る必要があるのだろうか。公正取引委員会の「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」座長も務めた、鶴田俊正・専修大名誉教授(産業組織論)に話を聞いた>。
再販制とは、書籍や新聞、音楽CDなどの定価販売を日本で維持させている仕組みだ。
再販売価格維持
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D..
<再販売価格維持(さいはんばいかかくいじ、resale price maintenance)とは、ある商品の生産者または供給者が卸・小売業者に対し商品の再販売価格を指示し、それを遵守させる行為。 再販売価格維持行為(再販行為)、再販売価格の拘束とも呼ぶ。
要はメーカーが小売業者に対し商品の値引き販売を許さないことをいう。
再販売価格維持は流通段階での自由で公正な競争を阻害し、需要と供給の原則に基づく正常な価格形成を妨げて消費者利益を損なうため、資本主義経済を取る国の多くでは独占禁止法上原則違法とされている。但し例外的に一部商品については一定の要件の元に再販行為を容認している場合があり、それを再販制度と通称する>。
ここにもあるように、再販制は自由で公正な競争に反するもので、経済の憲法とも言われる独占禁止法にも反している(「不公正な取引方法」に含まれる)。この再販制を世界でもっとも強く保持しているのが日本なのだ。
鶴田俊正氏はかつて、三輪芳朗氏・金子晃氏とともに、ナベツネから国会の場で「三悪人」と名指しで批判された。
三輪芳朗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89..
<1995年から1997年にかけて行政改革委員会規制緩和小委員会で委員を務め、規制緩和と再販制度の廃止を主張し、日本新聞協会の渡邉恒雄と激しく対立。渡邉から鶴田俊正(専修大学教授)・金子晃(慶應義塾大学教授 ※当時)と共に国会で「三悪人」と糾弾される>。
このJ-CASTのインタビューでも、その話が出てくる。
<1996年6月の規制緩和に関する衆院の特別委員会に参考人として出席した渡辺さんが、私を含め3人の学者の名前を挙げ「新聞なんかつぶしてやりたいと思っている、3人のイデオローグがいる」と言われました。私たちの議論を「大々的に報じない」のは、「オウム真理教の教祖の理論を長々と書かないのと同じ」なんていう表現もありました>。
<しかし、私の記憶では上のようなやりとりを新聞はどこも報じなかった。私たち学者の議論に反対するのは勿論自由です。しかし、日頃は他業種の競争政策に関しては「価格を決めるのは市場や消費者」などと規制緩和を社説などで主張しながら、自分たちのこととなると「社会の公器だから」などと特別扱いを求め、反対意見も公平に扱おうとしない。こんな姿勢には当時から疑問を感じていました>。
<私たちは、独自性がある新聞なら、再販制をなくしても破壊的価格競争にはならないと訴えていました。「新聞をつぶしたい」なんてとんでもない。新聞が消費者ニーズに敏感になり、その上でがんばってほしいと思っていたのです>。
そして、「渡辺さんは、なぜあそこまで強く再販廃止に反対したのでしょうか」というインタビュアーの質問に、鶴田氏はこう答えている。
<新聞の営業政策の根幹を揺るがす、と感じたのでしょう。自分たちの新聞だけを売る、つまり専売店に部数増を強く求め、大部数を維持し、それによって広告の価値をあげていくビジネスモデルですね。そして部数増のため、(販売)拡張団による強引な勧誘や景品配りをする。新聞の中身や価格で競争していないのです。まあ、拡張団の活動は現在では以前のように強引ではないようですが。いずれにせよ、そういう形で築いてきたものが崩れていくと心配されて大反対したのでしょう>。
この「三悪人」発言から10年以上経った現在、新聞社の経営状態は惨憺たる状態で、各社ともビジネスモデル自体の変更を余儀なくされている。これはもちろん、ネット普及による「紙離れ」などもあるだろうが、「再販制」という反競争的な規制によって新聞という産業が保護されつづけたため、経営がそこにあぐらをかき、時代への柔軟な対応力を欠いた結果であるとも言えるだろう。
なお新聞の再販制については、上記の三輪芳朗氏のサイトに面白い記事がたくさんある(「著作物再販制問題が提起したもの:望ましい新聞・出版流通のために議論すべき点は何か」など)。
私には、再販制と雇用規制が重なって見える。再販制は「文化を守る」というお題目のもと、本や新聞などの価格を強制し、市場競争から「保護」する。しかしこれが逆に産業を弱体化させ、けっきょく消費者もソッポを向くので、むしろ文化は破壊されてしまう。雇用規制は、「雇用を守る」というお題目のもと、企業に雇用を強制し、社員を市場競争から「保護」する。しかしこれが企業・社員いずれの競争力も失わせ、正規雇用も減って雇用格差が生じて、むしろ雇用は破壊されてしまう。
再販制も雇用規制も、市場の力を理解せず、むしろ市場を敵視して、強制的な規制によって市場から何かを「守る」という発想が似ている。それを私は「規制脳」と呼びたいのだ。「規制脳」とはまさに「小さな計画経済」である。