2009.03.12
「若者が天下国家を論じる時代」が戻ってきた
ネットやブログのおかげで、「若者が天下国家を論じる時代」が戻ってきた気がする。

もちろん、天下国家などには興味がない若者のほうが多いだろうが、少なくとも80年代や90年代に比べれば、政治や経済について積極的に考え、発言する若者の割合は増えたように思う。

これは単に、ネットやブログというメディアによって、そういう層が「可視化」されただけなのかもしれないし、私自身が政治や経済に対する興味を持ちはじめて、その層が見えるようになっただけ、というのもあるかもしれない。

しかし「時代の空気」みたいなものは、やはりあるように思う。私の印象は、こんな感じだ。

1960年代 - 学生運動の時代 政治の季節
1970年代 - 政治から文化へ
1980年代 - 文化の時代
1990年代 - バブル崩壊 経済と文化の収縮
2000年代 - 模索の時代 ネットの台頭

若者が天下国家を熱く論じていたのは主に60年代までで、70年代からは文化へのシフトが起きる。

文化が全開したのが80年代で、90年代はバブル崩壊によって経済基盤を失い、文化は収縮した。文化はカネがかかるもので、文化では食えないから、経済基盤を失えば、文化も失う。

00年代は低迷から這い上がり、1~2年のミニバブルを経て、金融危機が来た。ネットやブログの普及・台頭で、一般人の情報発信や意識改革が進んだ。

私がリアルタイムで知っているのは80年代以降だが、大体こんな印象だ。

私は80年代的な「文化」の影響下に育った人間で、私の10代が80年代に、20代が90年代にほぼ対応している。私の個人的な興味や方向性は当然あるにしても、「時代に育てられた」という面もやはりあると思う。

30代・00年代に入って、私はそれまでの「文化中心主義」を脱して、ITやビジネスに軸足を移し、「天下国家」にも興味を持ち始めた。これは私自身の興味の変遷や、年齢的なオヤジ化などもあるが、時代の変化が私に「反響」している面もあると思っている。

こういう「時代語り」は、どうしても自分自身の変化と切り離せないので、私の見方はかなりバイアスがかかっていることも確かだ。しかし、若者が抵抗なく「天下国家を論じる」ような時代は、少なくとも私の知っている範囲では存在しなかったという実感がある。もし私の見立てが正しいとすれば、これは70年代初頭あたり以来のことで、30数年ぶりくらいになる。

この不況で、日本はいろいろな点で「古いやり方」を捨てざるをえず、いよいよ変わらざるをえない。もう「人任せ」「国任せ」「会社任せ」にはできない、サバイバルの時代だ。これは面白い時代だと思うし、そこで育つ若者はきっと強くなるだろう。