2009.03.24
老人を「老人扱い」しない
老人は、「老人扱い」されるのを嫌うと言われる。その気持ちはよくわかる気がする。

老人として扱ってほしい、という老人もおそらくいるだろうが、むしろ大部分の老人は、いくつになっても気持ちは若くて、「老人扱い」されるのを嫌っていると思う。

私はまだ老人ではないが、人生も半ばにさしかかり、「老人扱い」されるのを嫌うという老人の気持ちが、わりと実感として予想できるくらいにはなってきた。「遠くのほうに、老人の自分が見えてきた」といった感じか。

私が老人になったら、私も絶対に「老人扱い」してほしくないと思うであろうことは間違いない。

私は率直に言って、老人を敬(うやま)う気持ちがあまりない人間だ。老人にも尊敬できる人と尊敬できない人がいるし、若者にも尊敬できる人と尊敬できない人がいる。尊敬できるかどうかはほんとうに人それぞれであり、年齢とか世代などで切れるものではないと思っている(「私は属性を信じない 私が信じるのは固有名詞だ」)。

立派な人、いい仕事をする人、すぐれた業績を残す人は、年齢に関係なくリスペクトされればいいのであって、老人だから敬うとか、若いから馬鹿にするとかいう基準はおかしい。

私は老人だからという理由で敬うことをしないが、逆に私が老人になっても、私が老人だからという理由で敬ってほしくはない。

私にとっては、「老人を老人扱いしない」ということが、むしろ公正(フェア)であり、礼儀正しいのだ。高校野球の宣誓などで言われる、「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」という、あれに近い。スポーツでは、互いに遠慮していたら試合にならない。遠慮しないで、本気でやるからこそフェアなのであり、やる価値があるのだ。

私がオバさんになっても」という森高千里の曲があったが、「私が老人になっても、私を老人扱いしないで欲しい」と、ここに書いておきたい。30年くらい経って、もし老人になった私と接することがあったら、その点よろしく。

ところで、老人になっても私はブログを書いているのだろうか。たぶん書いているような気がする。

ブログは実世界のコミュニケーションに比べて、年齢とか立場が気にならない(というか、あまりわからない)のも、すごくいいと思う。