2009.03.23
わかりやすいものを作る能力は、ロジックではなく「美」に属する能力
きのうのエントリに関連して、「わかりやすさ」について少し補足してみたい。

良い文章や良いプログラムは、わかりやすい。では、この「わかりやすさ」とは何なのか。

文章Aと文章Bのどちらがわかりやすいか、どうやって判定できるのか?

「わかりやすさ」は、「美しさ」と同じく、ロジックでは判定できないものだ。2つのものがあって、そのどちらが「わかりやすい」か、どちらが「美しい」かについて意見が割れたとき、どちらの意見が正しいのか、それをロジカルな手続きで決着させることはできない。

しかし、ロジカルな手続きで決着できないとしても、「わかりやすさ」や「美しさ」は、確実に存在する。いい音楽とかいいデザインといったものは、その良さを理詰めで証明することはできないが、いいことは確かなのだ。

ITは「理系」なのか?」や「ITエンジニアにコンピュータ・サイエンスは必須か」で私が言いたかったのも、プログラミングというものの本質は、「わかりやすさ」や「美しさ」を生み出す能力だ、ということだった。ロジカルな能力も要求されるけれども、それが本質ではなくて、本質的な点ではロジックを超越している。

「わかりやすさ」や「美しさ」がロジックを超越していることは、いい音楽とかいいデザインといったものの良さを、理詰めで証明したり、説明したりできないことからもわかる。もし「わかりやすさ」や「美しさ」がロジックで組み立てられるならば、いい音楽とかいいデザインをプログラムで自動生成したり、自動判定できるはずだ。

「わかりやすさ」や「美しさ」は、人間が感じるものだ。だから、ロジックで組み立てられない。「わかりやすさ」や「美しさ」がロジック的に解明されるときが来るとすれば、それは人間の認知や感情がロジック的に解明されるときだろう。