ピョートル1世の「ひげ税」
手元にある世界史の資料集『最新世界史図説タペストリー』(帝国書院)を眺めていたら、P.158「ロシアの西欧化~ロシアの絶対王政と領土の拡大~」に、「ひげを切る図」という面白い絵が載っていた。
その絵をネットで探してみたところ、あった。
Реформы Петра I
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D0..
この絵に対して、資料集では<ピョートルは貴族に西欧の風習を強制し、彼らのあごひげを切らせると同時に、従わない者にはひげ税を徴収した>という解説がついている。そしてこの絵のはさみのところには<羊の毛を刈るためのはさみ>だと書かれている。
ウィキペディア - ピョートル1世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94..
<ピョートル1世(ロシア語表記:Пётр I Алексеевич;ラテン文字表記の例:Pyotr I Alekseevich, 1671年6月9日 - 1725年2月8日)は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代のロシア皇帝(インペラトール / 在位:1721年 - 1725年)。その歴史的存在感と2mを超す巨躯から、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称される>。
ピョートル1世はロシアの西欧化をすすめ、その一環として「ひげ」を切らせたという記述がある。
<1698年に帰国すると、西欧化改革の始まりを示すべく大貴族の髭を切らせ、髭に課税して切るよう一般民衆にも強制した。廷臣と役人にも西欧式正装を義務づけたほか、1700年にユリウス暦を導入した。さらに1702年には宮廷改革に着手し、女性皇族が従っていた厳しい行動制限を撤廃して宮廷行事への出席を命じた>。
ウィキペディア - 髭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AD..
<ヒゲ税:ロシアのピョートル1世が制定。ヒゲにたいして課税(課税率は身分によって異なった)。ピョートルはロシアを欧州列強のような先進的国家にすることを目指しており、まずは国民・貴族の意識を変えるために、ロシアの風習の象徴である髭をなくそうと考えた。考え方としては、日本の断髪令と似ている>。
ピョートル1世は、強硬ではあるがかなり有能な皇帝で、面白い人だったらしい。
ひげ税を取ったロシアの皇帝
http://www7.ocn.ne.jp/~you2002/hanasi5.htm
<ロシア絶対主義の確立者と言われるピョートル大帝は、すべてに積極的な君主であった。たいへん器用で、自分のイス・食器などを作るばかりでなく、外科医・歯医者の診療技術も多少マスターしていた。
病気にかかった側近たちは、彼が手術道具を持って現れることを何より怖がった。
また彼は、遅れたロシアに、進んだ技術を輸入しようとして大使節団を西欧に派遣したが、みずからも一随行員となってそれに参加した。そして当時の海軍国だったオランダやイギリスの造船所では一職工となり、数ヶ月間ハンマーをふるって造船技術をみっちり習得した。
また、彼は、ロシア人が自慢していたあごひげを切らせて西欧風の風俗を強制し、従わない者からは「ひげ税」をとった>。
(世界史おもしろこぼれ話 三笠書房・著者・石井武夫 参考)
ピョートル1世が「ひげ税」を取ろうとしたくらい、当時のロシア人は「ひげ」を生やしていたようだ。
ロシア史雑話7 - ヒゲのロシア人
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa7.html
<残された写真を見ると、当時の、とりわけ下層のロシア人のほとんどはそれこそ顔一面にヒゲを生やしています。一方で西欧かぶれしていた上流階級の人々はきちんとヒゲを整えるか、あるいは剃ってしまっていることが多く、すぐに見分けがつきます(もっともその前に着ている衣装とかでわかってしまうけど)>。
<一般のロシア人はどうしてそんなにヒゲを好んだのか。寒かったから?それもあるかもしれませんが、重要なのは宗教的な理由であります。
現在においてもロシアの聖職者は顔一面にヒゲを蓄えています。時代がかった重々しい衣装(法衣)にマッチしてなかなかありがたい感じがしますが、もちろん視覚的な効果を狙ってヒゲを伸ばしているわけではありません。
ロシア正教においてヒゲは神が与え給うたものとされ、男性の象徴とも言うべき扱いを受けていました。従ってヒゲを剃り落とすことは神の創造になる自然からの逸脱であり、一種の罪でもありました。中世ロシアにおいては聖職者のみならず、およそ男性として生まれた者は全て豊かなヒゲを蓄えていたのです>。
<この状況が劇的に変化したのはピョートル大帝の時代です。西欧をモデルとした近代化政策をとったピョートルにとって、教会を含めた社会の大部分が古臭い伝統の中に浸っていることはどうにも我慢のならないことでした。「まず形から」というわけか、ピョートルは皇帝の近くに仕える貴族どものヒゲをまず剃り落とし、また社会に対しては「ヒゲに税金をかける」という暴挙に出たのでした。
よく笑い話のように語られるピョートルの「ヒゲ税」はこのような背景を持っていたのです。しかし農民を中心とした一般民衆の間では、無理をしてでも税金を払ってヒゲを生やす者が少なくありませんでした。またヒゲを剃り落とした者もそれを密かに保管し、自分が死ぬ時に棺桶の中に入れるよう遺言した例が多かったようです。「ヒゲがないと天国に入れない」というわけですが、ヒゲに対する執着もここまでくると立派なものです>。
その絵をネットで探してみたところ、あった。
Реформы Петра I
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D0..
この絵に対して、資料集では<ピョートルは貴族に西欧の風習を強制し、彼らのあごひげを切らせると同時に、従わない者にはひげ税を徴収した>という解説がついている。そしてこの絵のはさみのところには<羊の毛を刈るためのはさみ>だと書かれている。
ウィキペディア - ピョートル1世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94..
<ピョートル1世(ロシア語表記:Пётр I Алексеевич;ラテン文字表記の例:Pyotr I Alekseevich, 1671年6月9日 - 1725年2月8日)は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代のロシア皇帝(インペラトール / 在位:1721年 - 1725年)。その歴史的存在感と2mを超す巨躯から、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称される>。
ピョートル1世はロシアの西欧化をすすめ、その一環として「ひげ」を切らせたという記述がある。
<1698年に帰国すると、西欧化改革の始まりを示すべく大貴族の髭を切らせ、髭に課税して切るよう一般民衆にも強制した。廷臣と役人にも西欧式正装を義務づけたほか、1700年にユリウス暦を導入した。さらに1702年には宮廷改革に着手し、女性皇族が従っていた厳しい行動制限を撤廃して宮廷行事への出席を命じた>。
ウィキペディア - 髭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AD..
<ヒゲ税:ロシアのピョートル1世が制定。ヒゲにたいして課税(課税率は身分によって異なった)。ピョートルはロシアを欧州列強のような先進的国家にすることを目指しており、まずは国民・貴族の意識を変えるために、ロシアの風習の象徴である髭をなくそうと考えた。考え方としては、日本の断髪令と似ている>。
ピョートル1世は、強硬ではあるがかなり有能な皇帝で、面白い人だったらしい。
ひげ税を取ったロシアの皇帝
http://www7.ocn.ne.jp/~you2002/hanasi5.htm
<ロシア絶対主義の確立者と言われるピョートル大帝は、すべてに積極的な君主であった。たいへん器用で、自分のイス・食器などを作るばかりでなく、外科医・歯医者の診療技術も多少マスターしていた。
病気にかかった側近たちは、彼が手術道具を持って現れることを何より怖がった。
また彼は、遅れたロシアに、進んだ技術を輸入しようとして大使節団を西欧に派遣したが、みずからも一随行員となってそれに参加した。そして当時の海軍国だったオランダやイギリスの造船所では一職工となり、数ヶ月間ハンマーをふるって造船技術をみっちり習得した。
また、彼は、ロシア人が自慢していたあごひげを切らせて西欧風の風俗を強制し、従わない者からは「ひげ税」をとった>。
(世界史おもしろこぼれ話 三笠書房・著者・石井武夫 参考)
ピョートル1世が「ひげ税」を取ろうとしたくらい、当時のロシア人は「ひげ」を生やしていたようだ。
ロシア史雑話7 - ヒゲのロシア人
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa7.html
<残された写真を見ると、当時の、とりわけ下層のロシア人のほとんどはそれこそ顔一面にヒゲを生やしています。一方で西欧かぶれしていた上流階級の人々はきちんとヒゲを整えるか、あるいは剃ってしまっていることが多く、すぐに見分けがつきます(もっともその前に着ている衣装とかでわかってしまうけど)>。
<一般のロシア人はどうしてそんなにヒゲを好んだのか。寒かったから?それもあるかもしれませんが、重要なのは宗教的な理由であります。
現在においてもロシアの聖職者は顔一面にヒゲを蓄えています。時代がかった重々しい衣装(法衣)にマッチしてなかなかありがたい感じがしますが、もちろん視覚的な効果を狙ってヒゲを伸ばしているわけではありません。
ロシア正教においてヒゲは神が与え給うたものとされ、男性の象徴とも言うべき扱いを受けていました。従ってヒゲを剃り落とすことは神の創造になる自然からの逸脱であり、一種の罪でもありました。中世ロシアにおいては聖職者のみならず、およそ男性として生まれた者は全て豊かなヒゲを蓄えていたのです>。
<この状況が劇的に変化したのはピョートル大帝の時代です。西欧をモデルとした近代化政策をとったピョートルにとって、教会を含めた社会の大部分が古臭い伝統の中に浸っていることはどうにも我慢のならないことでした。「まず形から」というわけか、ピョートルは皇帝の近くに仕える貴族どものヒゲをまず剃り落とし、また社会に対しては「ヒゲに税金をかける」という暴挙に出たのでした。
よく笑い話のように語られるピョートルの「ヒゲ税」はこのような背景を持っていたのです。しかし農民を中心とした一般民衆の間では、無理をしてでも税金を払ってヒゲを生やす者が少なくありませんでした。またヒゲを剃り落とした者もそれを密かに保管し、自分が死ぬ時に棺桶の中に入れるよう遺言した例が多かったようです。「ヒゲがないと天国に入れない」というわけですが、ヒゲに対する執着もここまでくると立派なものです>。