2009.12.26
ドブ板選挙は「コネ採用」みたいなものだ
「ドブ板選挙」とは、選挙前の政治家が、自分の選挙区である地元の会合や運動会などに顔を出して、「よろしくお願いします」「地元のためにがんばります」とか言いながら握手して回る、といったやつだ。

この「ドブ板選挙」というものは、大学入試や企業の採用でいえば、いわゆる「コネ採用」みたいなものだろう。実力で判断するのではなくて、コネや顔つなぎで採用を決めるという評価基準だ。

選挙で政治家の合格・不合格を握っているのは、票を投じる有権者である。有権者が「審判」なのだ。この審判たる有権者に対し、政治家は自分の政策や実績をアピールし、有権者もその内容で選ぶ、というのが本来あるべき姿だろう。

しかし「ドブ板選挙」では、政治家は自分の政策でなく、地元の会合や運動会への出席、挨拶や握手といった「顔つなぎ」によってアピールする。なぜそんなことをするかというと、それが「票になる」ことを知っているからだ。有権者の側も、政策の内容によって政治家を選ぶのではなく、「顔なじみ」だということで票を入れてしまう人が少なくないわけだ。

これは会社で言えば、上司が部下を評価するときに、能力や仕事内容、出した結果で評価するのではなく、自分にペコペコしているかどうかで評価を決めているようなものだろう。上司の評価基準がこうであれば、部下はスキルアップしたり、まともに仕事をして結果を出すよりも、「上司にペコペコする」「上司にゴマをする」ことに労力を集中させたほうがいい、と考えるようになる。

民間の会社であれば、こういうバカな上司がいたとしても、その会社から優秀な人材が流出し、業績が傾いて、そのうち潰れるだけの話だ。しかし政治の場合、有権者がこういう「バカな上司」だと、「上司にペコペコする」「上司にゴマをする」ことに労力を集中させる政治家が当選してしまう。つまり、本来の政治家の仕事である「政策」よりも、有権者にペコペコし、ゴマをするという「選挙戦術」に長けた政治家が当選してしまうわけだ。そういう政治家に日本を託すと、どうなるだろうか。

人間は感情で動く生き物なので、「選挙戦術」も必要ではある。<正しさが勝つとは限らない>から、<正しさのマーケティング>が必要なのだ。しかし、「選挙戦術」や「マーケティング」はあくまでも、「正しさ」を広めるための「手段」にすぎない。本来の「目的」は、やはり政策の内容だ。

結局のところ、「審判」たる有権者、国民自身が、政策の内容によって政治家を選べるようになるしかない。ドブ板選挙がなくならないのは、国民自身が「コネ採用」をしているからだ。ペコペコしているかどうか、ゴマをすってくるかどうか、よく挨拶に来るかどうか、といった基準で決めている限り、良い政策と実行力を持った政治家ではなく、ゴマすりのスキルや権謀術数に長けた政治家に権力を与えることになる。

本当は政治家の側も、ドブ板選挙や辻立ち演説、選挙カーなどが積極的に好きだという人は、おそらくあまりいないだろう。会社でいえば、上司に日夜ペコペコして、あちこちの飲み会で顔をつなぐ、といったことをしていないと評価されないので、仕方なくそれをやっているような感じかもしれない。もしドブ板選挙をしても無意味だということになれば、政治家は本来の仕事である立法や政策立案にもっと集中できるだろう。

政治でも会社でも、問題は「評価尺度」なのだ。人間の行動をみちびく動機・インセンティブは、何がトクになり何がソンになるかという、その場における「評価尺度」にあわせて形成される。よって「評価尺度」がゆがんでしまうと、インセンティブがゆがみ、行動もゆがんでしまうのだ。


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