2009.05.15
日本をダメにしたのは誰か
日本をダメにしたのは誰なのか。城繁幸氏がこう書いている。

Joe's Labo - 孫は祖父より1億円損をする
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/cd5574376d2609a0a86c7de3d53f65ca

<では、誰が悪いのだろうか。
まずは政治家か。確かに責任は重大だが、彼らは国民によって選ばれているわけだから
選挙で淘汰しなかった有権者も同罪だ。
ならば国民に正しい知識を伝える義務を怠ったメディアか。
これも間違いなく有罪だが、彼らは国民の見たがるものを流してきただけに過ぎない。
ダイヤモンドの「正社員を賃下げしろ」というコラムや
NHKラジオでの「派遣社員の3年で正社員ルールを凍結すべき」という学者の発言に
抗議が殺到する現実を見てもわかるとおり、視聴者側もまったく同罪だろう。
ならば、エコノミストや学者はどうか?
残念ながら民主主義体制ではいかなる学説自論も自由に流布可能なので、商売のために
モリタクみたいなのが暗躍して百家争鳴となるのはやむをえない>。

<要するに、社会全体に責任があるのだ。もちろん、きっちり意思表示しなかった若手にも
責任はある>。

社会全体、つまり国民に責任がある、と城繁幸氏は書ききっている。

これにはまったく同感だし、こういうことをはっきり書ける城氏は、貴重な論者だとあらためて思う。

もっとも罪が重いのは、基本的には政府だと私は考えている。規制を作ったり、税金を取るという「強制力」を持っているのは政府だけで、民間はこの強制力を一切持っていない。現状の日本の問題の多くは、間違った規制、高すぎる税金、税金のムダ使いなど、政府の強制力に支えられた「政府の失敗」ばかりで、民間由来の「市場の失敗」は少ない。だから責任があるのはもっぱら政府であって、民間には責任がない。

しかし、政府の「強制力」の由来をもっと根本的に辿っていけば、国民が政治家を選んでおり、選んだ政治家に国を託している、というのが「権力の由来」だ。つまり最終的には、国民がどんな政治家を選ぶかということ、そしてその政治家の仕事ぶりをちゃんと見ているかどうかということ、そこに行き着く。

国民が政治を育てる
http://mojix.org/2009/05/05/kokumin_seiji

<日本が「建物」だとすれば、国民はその「オーナー」「施主」であり、政治家は「建築家」だ。
いまの日本国民は、日本がダメなのを、政治家のせいにしているようなものだ。オーナーが、建物の出来が悪いことを、建築家のせいにしているのだ。
しかし、その政治家は国民が選んだのだ。政治家にももちろん責任があるとしても、そもそもダメな政治家を選んでいる国民にも責任がある。
そして、政治家がちゃんと仕事をしているのかどうか、その仕事内容である「政治」を理解できなければ、仕事の質を判断しようがないし、仕様を伝えたり、話し合いもできない。そもそも、政治に関心がなければ、政治家を選択できないはずなのだ>。

結局のところ、国民自身が政治というものに注意を払ってこなかったために、デタラメな制度が作られ、放置され、さらに増え続けて、いまの惨状を招いたのだ。

間違った制度設計は、無意味な「ハコモノ」と同じように、社会の富を食いつぶす。制度はなくさない限り存在し続けるので、維持するコストもかかるし、価値の創出をジャマしつづける。

日本国民は、勤勉に働くという点では世界トップレベルだが、経済や社会の仕組み、それも含めた「政治」というものをちゃんと考えてこなかったのだ。ただ勤勉なだけでは、「方向」が間違っている場合、それに気づけない。

日本にはこれまでも、間違った制度設計がずっとあったのだが、経済成長が続いていたので、それが表面化しなかった。さらに、経済成長によって問題がずっと表面化しなかったために、「以前はこのやり方でうまくいっていたのだから、このやり方は間違っていない」という考え方が根強い。この抵抗が、問題の解決をいっそう難しくしている。

日本には勤勉さはもう十分にあるので、精神論はいらないし、考えの浅い「正義」も、お節介な「善意」もいらない。必要なのは、問題の「構造」を捉えるのに必要な、知識や見識だ。

城繁幸氏は、最後にこう書いている。

<著者は、ちんたら議論している余裕は既に無く、与野党問わず日本の未来のために
協力しろと説くが、現状では議論すら始まっていないというのが実情だ。
なんだかんだ言いつつも、今の日本はまだまだ心地よい国なのだろう。
それでもこの手の本が続いて世に出るようになっただけでも、良しとするべきか>。

これも、その通りだと思う。最近は雇用問題も大きく注目され、原因が議論されはじめた。問題にスポットが当たり、それが議論されることがまず重要だ。この点で、いい方向に動きはじめていると思う。

この動きが出てきたのは、金融危機や不況で問題が顕在化しているのもあるが、ここでネットが果たしている役割も小さくない。

シリコンバレーに「ひらがな論者」あらわる
http://mojix.org/2009/05/11/sv_hiragana

<マスコミや政治家にとっては、一般人は「お客さん」である。マスコミも政治家も「人気商売」であり、いかに多くのお客さんに支持されるかが自身の死活問題だから、「日本はもうダメだから、日本から逃げろ」などと、お客さんを批判するようなことは絶対に言わない。解雇規制の話がマスコミや政治でタブーになっているのもこれで、「働きが悪い社員はクビにすべきだ」などと言えば、すごい反感を買うのは間違いないから、絶対に言わないのだ>。

マスコミも政治も、「お客さん」である国民の批判をしないので、マスコミしかなかった時代は、国民が「聞きたくないこと」は、国民の耳に入らなかった。そして、マスコミにとっても政治にとっても、国民は批判できない「お客さん」であると同時に、「バカでいてくれたほうがありがたい」存在でもあった。国民が「聞きたくないこと」は言わないと同時に、国民に「聞かせたくないこと」も言わない。これで、国民はどんどん「バカなお客さん」、要するに「カモ」になり下がったのだ。

しかし、いまはネットがある。ネットにはノイズも多いが、マスコミのようにビジネスや組織の制約がかかっておらず、個人のナマの声や、現場の専門家からの情報が直接出てくる。「減点法」でネットの悪い面だけ見れば、いくらでも悪いところがあるが、「加点法」でネットの良い面を見れば、いくらでも良いところがある。両方あわせれば、良い面のほうがはるかに多いと私は考える。ネットはマスコミと違い、国民が「聞きたくないこと」も流れているし、マスコミや政治家、政府が「聞かせたくないこと」も流れている。

日本をダメにしたのは国民自身であり、そして日本を再生できるのも国民自身だと思う。この日本の再生に、ネットは決定的な役割を果たすはずだ。


関連エントリ:
国民が政治を育てる
http://mojix.org/2009/05/05/kokumin_seiji
政治家と官僚と国民はジャンケンの関係
http://mojix.org/2009/03/14/janken_kankei
マスコミに対するブログの強み
http://mojix.org/2009/01/13/blog_strength