2009.05.05
国民が政治を育てる
Tech Mom from Silicon Valley - 日本の政治をよくするために必要なただ二つのこと
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20090504/1241396234

海部美知さんが、日本の政治をよくするには、政治家の「キャリアパス」をもっと増やすことと、政治家を「ほめること」、この2つが重要だとしている。これには賛同したい。

この話題の発端になった、渡辺千賀さんの「海外で勉強して働こう」のような、「日本はダメだから、早く逃げろ」式のアジテーションも私は好きだし、それも意味があると思う。しかし、日本にはいいところや強みもたくさんあり、私はやはり日本が好きなので、どちらかといえば、日本をもっと良くするには?という方向で考えたい。

日本をもっと良くするには?という方向で考えるならば、日本のウィークポイントである「政治」という中心問題に、正面からぶつかるしかないと思う。これは海部さんのエントリでも、日本のウィークポイントは「政治」であることが前提になっているようだし、そこに書かれている内容にも私はとても共感できるので、海部さんと私の「問題の見立て」は、おそらくかなり近いと思う。以下は、海部さんのエントリをふまえた上での、私の考えだ。

「政治をよくする」。これは、政治家が勝手に努力すればいいというものではなく、国民全員が、みずからの課題として取り組むべきものだ。

「政治をよくする」には、いまの政治家を好きになる必要はないが、政治に興味を持ち、「政治を好きになる」必要がある。なぜなら、政治家は国民が選ぶものであり、その政治家が政治をおこなうからだ。国民が政治に関心を持たなければ、いい政治が出てくるはずがない。

いまの日本政治がダメなのは、国民の「政治に対する無関心」の裏返しだと思う。マスコミの政治報道がいつもピント外れで、芸能ニュースみたいな人物動向に終始しているのも、国民が政治の「内容」、政策に関心がないことの反映だろう。

しかし、いい動きも出てきている。横浜市の中田市長宮崎県の東国原知事大阪府の橋下知事名古屋市の河村市長のように、自治体の財政規律やビジネスモデルに意識的な首長が地方から出てきて、支持を集めていることだ。東京に比べると、地方のほうが危機意識が強く、「ケツに火がついている」ので、何をやるべきなのか、正しい政策への「めざめ」が得られやすいのかもしれない。

こういう地方の革新的な首長に比べると、国会議員などは個別には聡明な人であっても、結局は政党間の足の引っ張り合いや派閥争いに組み込まれてしまい、争点である「政策」があまり表に出てこない。渡辺喜美元大臣のように信念を行動であらわす政治家は少なく、会社を辞められないサラリーマンのように、政党から出られない政治家がほとんどだ。自民党も民主党もあまりに大所帯すぎて、出てくる政策も大して変わらず、くだらない揚げ足取りや印象操作、政局的な陣取り合戦に終始している。ポリシーもバラバラな政治家が集まった、数が多いだけの政党であれば、それも当然だろう。

こういう日本政治の現状に対する失望では、私も人後に落ちないつもりだが、それでも「政治そのもの」には関心を持ち続け、前向きに考えたいと思っている。

「政治がダメなのは政治家が悪いからだ」と思い込むのは、天にツバを吐くのと同じだ。その政治家は、国民が選んだのだ。政治をよくしたいなら、いい政治家を選べばいいし、いい政治家がいないのなら、いい政治家を「育てる」しかない。

私が海部さんのエントリに共感するのは、「キャリアパス」「ほめること」という2つの具体的な提言に、「国民が政治を育てる」という視点があることだ。

いまの日本には、税金ムダ使い・無責任体質の行政とか、輸出・ハード偏重で時代遅れの産業構造・ビジネスモデルとか、妬みと同調圧力の強い国民気質とか、いろいろ問題がある。

しかし、すべての「行き詰まり感」の根源になっているのは、やはり政治のダメっぷりだと思う。なぜなら、「日本のルール」を変えて、突破口を作れるのは政治だけなのに、それを変えようとする気配が見えないからだ。種々の問題そのものが致命的なのではなく、問題に対応する力がないことが致命的なのだ。

逆にいえば、政治が「日本のルール」を変えることさえできれば、すべてが変わりはじめる。行政も産業構造も、そして国民気質と思われている精神的な習慣や、社会的な評価尺度・価値観といったものすら、この「日本のルール」に対する適応行動によって生じている面が少なくないのだ。

日本は技術も、文化も、その能力・ポテンシャルはすごいものがあるし、その名声は世界的にも確立している。ダメなところ以上に、日本にはいいところがたくさんある。

しかし、いまの日本には「希望」がない。努力しても「報われない」から、「やる気が出ない」のだ。社会の「構造」や「制度設計」、つまり「ルール」が間違っていて、努力したり、結果を出した人が報われるのではなく、地位を手に入れた既得権益者だけが報われるようになっているのだ。

だから「ルール」を変えるしかない。既得権益を破壊して、公正(フェア)なインセンティブ体系を「再設計」する必要があるのだ。

日本が「建物」だとすれば、国民はその「オーナー」「施主」であり、政治家は「建築家」だ。

いまの日本国民は、日本がダメなのを、政治家のせいにしているようなものだ。オーナーが、建物の出来が悪いことを、建築家のせいにしているのだ。

しかし、その政治家は国民が選んだのだ。政治家にももちろん責任があるとしても、そもそもダメな政治家を選んでいる国民にも責任がある。

そして、政治家がちゃんと仕事をしているのかどうか、その仕事内容である「政治」を理解できなければ、仕事の質を判断しようがないし、仕様を伝えたり、話し合いもできない。そもそも、政治に関心がなければ、政治家を選択できないはずなのだ。

もし、選ぶに足る政治家が1人もいないとすれば、まともな政治家が出てこないという日本の「土壌」に原因があるのだ。いまの日本はまさに、この状況に近いだろう。

その原因は、海部さんが指摘する通り、政治家の「キャリアパス」が不足していること(だから世襲叩きというカンチガイも生じる)、そして「ほめること」の不足、つまり政治家叩きがひどすぎて、政治家という仕事自体への「リスペクト」を失わせていること、こういった要因は確かに大きそうだ。

「リスペクト」や社会的な評価というのは、インセンティブの形成を大きく左右する。これは政治家に限らず、経営者・起業家などもそうだと思うが、日本は「叩きすぎ」によって、人材の育成を妨げているという側面が小さくない。制度設計を変えることは政治家にしかできないが、やたらに叩くのをやめて、ほめるほうに重点を置くというのは、国民がみずからの手でできることだ。

日本には、「日本のルール」を変えられる政治家が必要だ。該当者がいないのであれば、これからでも育てる必要がある。政治に関心を持ち、ブログに書いたりするだけでも、政治家を育てるための「土壌作り」に参加できると思う。


関連エントリ:
国民が世襲政治家を望んでいないなら、世襲政治家に投票しないはずだ
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http://mojix.org/2009/04/19/japan_hope
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