希望を捨てたら、もっと不幸になる
池田信夫blog - 希望を捨てる勇気
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f12938eaad206d10b7629456f0a051e
<90年代の「失われた10年」と現在はつながっており、そしてこの長期停滞には終わりがないかもしれないのだ。これを打開するには、生産性を上げるしかない。特に雇用を流動化して労働の再配分を行なう必要があるが、それには非常に抵抗が強い。日本の産業構造が老朽化しており、これを再編しないと衰退する、と多くの人が90年代から警告してきた。20年間できなかったことが、これから数年でできるとは思えない。政治家にも、与野党ともにそういう問題意識さえない>。
<こういう状況は若者の意識にあらわれている、と城繁幸氏はいう。それは「希望のなさ」だ。かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。だから彼らは意外に「正社員になりたい」という願望をもっていない。気楽なフリーターに順応すれば固定費も少なく、それなりに生活できるからだ>。
<この状況から「派遣村」のように労働組合と連帯しようという方向と、赤木智弘氏のように「戦争」を求める方向の二つにわかれる。前者のほうが建設的にみえるが、実はその先には何もない。彼らが連帯を求めている労組は、椅子にしがみついている人々だから、同情して仮設住宅を世話くれるが、決して席を空けてはくれないのだ。この椅子取りゲーム自体をひっくり返すしかない、という赤木氏のアナーキーのほうが本質をとらえている>。
<しかし残念ながら、若者にはその力はない。かつてのマルクス主義のような、彼らを駆り立てる「大きな物語」が失われてしまったからだ。こうして実社会の共同体から排除された若者は、仮想空間で共同体を築く。「2ちゃんねる」に見られるのは、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる>。
基本的な論旨としては、ふだんの池田氏と同じだが、今回のエントリは心なしか、日本への「あきらめムード」が漂っている感じだ。ふだんは歯切れのいい池田氏が、やや諦念を見せたというツンデレ効果(?)なのか、はてなブックマークでもすごい反響だ。
ほんとうの意味で「希望を捨てる」べきなのは、いまの日本の低迷を単なる景気問題と見なし、根拠のない「希望」にもとづいてバラマキを続ける政治家と官僚、そしてそれを支持している人間だ。雇用や年金をはじめとする日本の間違った制度設計、その「構造」の誤りを直そうとせず、目先のバラマキや、恣意的な産業育成などに終始している。国がどんどん沈んでいて、穴をふさぐ必要があるのに、もっと沈むように穴をあけているようなものだ。
若者は、この間違った制度設計の犠牲者だ。「身分階層」が固定されてしまっており、いくらあがいても、這い上がれない。だから、「希望を捨てる」しかない。今回の池田氏のエントリは、若者への批判も含んでいるが、それ以上に、苦しい境遇にある若者への共感が出ていると思う。
私は雇用問題をはじめ、多くの点で池田氏の主張には賛成であり、今回のエントリも、その言わんとするところはわかる。しかし今回のエントリは、若者が「希望を捨てる」ことを肯定しかねない側面がある。そうせざるをえない若者に共感する、という意味では私も同感だが、本当に「希望を捨て」てしまったら、もっとひどいことになる。
もし若者が、ほんとうに「希望を捨ててもいいんだ」と考えてしまったら、日本の間違った制度設計、その「構造」はますます強化されるだろう。若者がいくら、カネを使わない質素な生活でやっていくのだとしても、ここからさらに税金が上がり、規制が強まっていけば、その被害をもっとも受けるのは若者なのだ。収入が少なければ、表向きの課税は少ないかもしれないが、経済はつながっているから、「間違った制度設計のコスト」は回りまわって、結局は弱者にこそ最もシワ寄せが来るのだ(これがまさに、いまの日本の図式そのものだ)。
そんなことは、池田氏自身は当然承知しているが、若者のなかにカンチガイする人がいると困るので、「希望を捨てたら、もっと不幸になる」とここに書いておきたい。
政治への不信や無関心が強まれば強まるほど、日本はますますひどくなるのだ。「政治家と官僚と国民はジャンケンの関係」を読んでほしい。<国民が政治に失望し、興味を失えば失うほど、官僚は最強になり、国民は損するのだ>。どんなに絶望しても、あきらめてはいけない。
政治家に失望するのは構わないが、政治には関心を持ち続けてほしい。不況でさまざまな問題が見やすくなってきたのは、むしろチャンスでもある。そして何よりも、情報の発信源がマスコミしかなかった時代に比べて、いまはネットという武器があるのがほんとうに大きい。
この苦しい時代に生きる若者は、国や会社におんぶしていれば良かった旧世代に比べて、きっと強くなるだろう。ネットによって、「若者が天下国家を論じる時代」も戻ってきた。ネット世代の若者が、きっと日本を変えてくれると私は信じている。
関連エントリ:
職業の「身分制度」が支える日本の「与信」
http://mojix.org/2009/04/03/mibunseido_yoshin
解雇規制、職業の「身分制度」、「与信」の関係
http://mojix.org/2009/04/04/kaikokisei_yoshin
「若者が天下国家を論じる時代」が戻ってきた
http://mojix.org/2009/03/12/wakamono_tenkakokka
マッチョもいろいろ 精神論では何も解決しない
http://mojix.org/2009/02/17/macho_iroiro
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f12938eaad206d10b7629456f0a051e
<90年代の「失われた10年」と現在はつながっており、そしてこの長期停滞には終わりがないかもしれないのだ。これを打開するには、生産性を上げるしかない。特に雇用を流動化して労働の再配分を行なう必要があるが、それには非常に抵抗が強い。日本の産業構造が老朽化しており、これを再編しないと衰退する、と多くの人が90年代から警告してきた。20年間できなかったことが、これから数年でできるとは思えない。政治家にも、与野党ともにそういう問題意識さえない>。
<こういう状況は若者の意識にあらわれている、と城繁幸氏はいう。それは「希望のなさ」だ。かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。だから彼らは意外に「正社員になりたい」という願望をもっていない。気楽なフリーターに順応すれば固定費も少なく、それなりに生活できるからだ>。
<この状況から「派遣村」のように労働組合と連帯しようという方向と、赤木智弘氏のように「戦争」を求める方向の二つにわかれる。前者のほうが建設的にみえるが、実はその先には何もない。彼らが連帯を求めている労組は、椅子にしがみついている人々だから、同情して仮設住宅を世話くれるが、決して席を空けてはくれないのだ。この椅子取りゲーム自体をひっくり返すしかない、という赤木氏のアナーキーのほうが本質をとらえている>。
<しかし残念ながら、若者にはその力はない。かつてのマルクス主義のような、彼らを駆り立てる「大きな物語」が失われてしまったからだ。こうして実社会の共同体から排除された若者は、仮想空間で共同体を築く。「2ちゃんねる」に見られるのは、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる>。
基本的な論旨としては、ふだんの池田氏と同じだが、今回のエントリは心なしか、日本への「あきらめムード」が漂っている感じだ。ふだんは歯切れのいい池田氏が、やや諦念を見せたというツンデレ効果(?)なのか、はてなブックマークでもすごい反響だ。
ほんとうの意味で「希望を捨てる」べきなのは、いまの日本の低迷を単なる景気問題と見なし、根拠のない「希望」にもとづいてバラマキを続ける政治家と官僚、そしてそれを支持している人間だ。雇用や年金をはじめとする日本の間違った制度設計、その「構造」の誤りを直そうとせず、目先のバラマキや、恣意的な産業育成などに終始している。国がどんどん沈んでいて、穴をふさぐ必要があるのに、もっと沈むように穴をあけているようなものだ。
若者は、この間違った制度設計の犠牲者だ。「身分階層」が固定されてしまっており、いくらあがいても、這い上がれない。だから、「希望を捨てる」しかない。今回の池田氏のエントリは、若者への批判も含んでいるが、それ以上に、苦しい境遇にある若者への共感が出ていると思う。
私は雇用問題をはじめ、多くの点で池田氏の主張には賛成であり、今回のエントリも、その言わんとするところはわかる。しかし今回のエントリは、若者が「希望を捨てる」ことを肯定しかねない側面がある。そうせざるをえない若者に共感する、という意味では私も同感だが、本当に「希望を捨て」てしまったら、もっとひどいことになる。
もし若者が、ほんとうに「希望を捨ててもいいんだ」と考えてしまったら、日本の間違った制度設計、その「構造」はますます強化されるだろう。若者がいくら、カネを使わない質素な生活でやっていくのだとしても、ここからさらに税金が上がり、規制が強まっていけば、その被害をもっとも受けるのは若者なのだ。収入が少なければ、表向きの課税は少ないかもしれないが、経済はつながっているから、「間違った制度設計のコスト」は回りまわって、結局は弱者にこそ最もシワ寄せが来るのだ(これがまさに、いまの日本の図式そのものだ)。
そんなことは、池田氏自身は当然承知しているが、若者のなかにカンチガイする人がいると困るので、「希望を捨てたら、もっと不幸になる」とここに書いておきたい。
政治への不信や無関心が強まれば強まるほど、日本はますますひどくなるのだ。「政治家と官僚と国民はジャンケンの関係」を読んでほしい。<国民が政治に失望し、興味を失えば失うほど、官僚は最強になり、国民は損するのだ>。どんなに絶望しても、あきらめてはいけない。
政治家に失望するのは構わないが、政治には関心を持ち続けてほしい。不況でさまざまな問題が見やすくなってきたのは、むしろチャンスでもある。そして何よりも、情報の発信源がマスコミしかなかった時代に比べて、いまはネットという武器があるのがほんとうに大きい。
この苦しい時代に生きる若者は、国や会社におんぶしていれば良かった旧世代に比べて、きっと強くなるだろう。ネットによって、「若者が天下国家を論じる時代」も戻ってきた。ネット世代の若者が、きっと日本を変えてくれると私は信じている。
関連エントリ:
職業の「身分制度」が支える日本の「与信」
http://mojix.org/2009/04/03/mibunseido_yoshin
解雇規制、職業の「身分制度」、「与信」の関係
http://mojix.org/2009/04/04/kaikokisei_yoshin
「若者が天下国家を論じる時代」が戻ってきた
http://mojix.org/2009/03/12/wakamono_tenkakokka
マッチョもいろいろ 精神論では何も解決しない
http://mojix.org/2009/02/17/macho_iroiro