職業の「身分制度」が支える日本の「与信」
日本の雇用問題と住宅問題は、つながっている。
弱者を「保護」するための規制によって、むしろ弱者がはじき出されている、という構造的な共通点だけでなく、両者は「与信」というもので密接につながっているのだ。
日本では、公務員や大企業の社員であれば、賃貸で部屋を借りたり、住宅ローンを借りたり、クレジットカードを作ったりするのにも、何も問題がない。しかし、零細企業や自営業者、派遣・フリーターなどの場合、そうはいかない。
日本では「どこに勤めているか」という「身分」が、そのまま「信用」になっている。そこに厳然たる「身分制度」があるのだ。
よって、日本では職を失ってしまった場合、それは収入がなくなるだけではなく、「信用」がなくなることを意味する。「信用」がなくなると、賃貸で部屋を借りられなくなる。部屋を借りられなければ、ネットカフェや「押入れハウス」に行くしかない。それで貯金が尽きれば、ホームレスだ。
日本では、職を失っただけでホームレスになるのだ。なんという国だろう。
こういう現状が問題だと思っている点では、私も多くの人と同じ思いだ。私が多くの人と異なる意見を持っているのは、こういう現状がなぜ生まれているのかという「見立て」、問題を引き起こしている「構造」についての見方だ。
「職を失っただけでホームレスになる」のだから、解雇する会社が悪いのだ、というのがよくある意見だ。会社にはカネがまだ残っていて、経営者の給料も高いのだから、それを出せばいいじゃないか、ということだろう。この種の考え方を、私は「ソフトな共産主義」と呼びたい。
「ソフトな共産主義」は、要するに「会社は社員の生活保障をする義務がある」という考え方だ。だから、会社が社員を解雇できないようにしよう、会社に高い税金を課そう、という考え方になる。
これはまさに、いまの日本政府がやっていることそのものだ。つまり「ソフトな共産主義」とは、実はいまの日本政府の路線なのだ。だから、「ソフトな共産主義」に共感する人は、少なくとも会社に対する強い規制・高い税金という点では、日本政府の路線を支持していることになる。それでも足りず、さらに規制を強め、税金を高くすべきだという人までいる。
この「ソフトな共産主義」=日本政府路線こそが、いまの日本の問題を生み出している、というのが私の考えだ。
「職を失っただけでホームレスになる」という問題を解決するために、「会社に社員を解雇させないように規制する」というのは、まったく逆効果だ。なぜならば、解雇規制こそが、職業の「身分制度」を支えているからだ。
絶対に解雇がない公務員と、解雇がむずかしい大企業の社員が、「身分制度」の頂点に君臨している。解雇規制がある限り、この「身分制度」は崩れないのだ。
その「身分制度」における「階位」が、「与信」の格付けになる。それを根拠として、住宅を借りたり買ったりできるかどうかが決まるのだ。
「身分制度」とは、つねにアンフェアなものだ。実力や努力で決まるのではなく、いったん身分を手に入れれば、それだけで安泰というのが身分制度だ。
身分で決まってしまうのであれば、身分が上の者は努力しなくなる。努力する必要がないからだ。そして、身分が下の者も努力しなくなる。努力しても報われないからだ。こうして、誰も努力しなくなり、価値を生み出す人間がいなくなる。
派遣や失業などの雇用問題と、ネットカフェ難民やホームレスという住宅問題、その共通の根にあるのが、この「身分制度」による「与信」という構造なのだ。
この「身分制度」による「与信」という構造が、個人の生活、仕事への意欲といったミクロレベルから、産業構造、経済成長といったマクロレベルにいたるまで、すべてに悪影響を及ぼしている。その構造を支えているのが、解雇規制なのだ。
つまり、「職を失っただけでホームレスになる」という構造を作り出しているのは、皮肉なことに、「会社に社員を解雇させないように規制する」という考え方なのだ。
日本人というのは、自由や市場というものをどこか信じておらず、むしろ規制のほうを信じているようなところがある。「天につばを吐く」という言葉があるが、日本がうまくいかなくなっているのは、自由や市場を大切にせず、そこにつばを吐いているからだという気がする。
関連エントリ:
「雇用を守れ」という声が、日本の「労働者カースト構造」を強化している
http://mojix.org/2008/12/21/japan_workers_caste
フェアな競争こそが、価値と生産性を引き出す
http://mojix.org/2008/10/18/fair_competition
経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス
http://mojix.org/2008/03/25/caplan_four_biases
弱者を「保護」するための規制によって、むしろ弱者がはじき出されている、という構造的な共通点だけでなく、両者は「与信」というもので密接につながっているのだ。
日本では、公務員や大企業の社員であれば、賃貸で部屋を借りたり、住宅ローンを借りたり、クレジットカードを作ったりするのにも、何も問題がない。しかし、零細企業や自営業者、派遣・フリーターなどの場合、そうはいかない。
日本では「どこに勤めているか」という「身分」が、そのまま「信用」になっている。そこに厳然たる「身分制度」があるのだ。
よって、日本では職を失ってしまった場合、それは収入がなくなるだけではなく、「信用」がなくなることを意味する。「信用」がなくなると、賃貸で部屋を借りられなくなる。部屋を借りられなければ、ネットカフェや「押入れハウス」に行くしかない。それで貯金が尽きれば、ホームレスだ。
日本では、職を失っただけでホームレスになるのだ。なんという国だろう。
こういう現状が問題だと思っている点では、私も多くの人と同じ思いだ。私が多くの人と異なる意見を持っているのは、こういう現状がなぜ生まれているのかという「見立て」、問題を引き起こしている「構造」についての見方だ。
「職を失っただけでホームレスになる」のだから、解雇する会社が悪いのだ、というのがよくある意見だ。会社にはカネがまだ残っていて、経営者の給料も高いのだから、それを出せばいいじゃないか、ということだろう。この種の考え方を、私は「ソフトな共産主義」と呼びたい。
「ソフトな共産主義」は、要するに「会社は社員の生活保障をする義務がある」という考え方だ。だから、会社が社員を解雇できないようにしよう、会社に高い税金を課そう、という考え方になる。
これはまさに、いまの日本政府がやっていることそのものだ。つまり「ソフトな共産主義」とは、実はいまの日本政府の路線なのだ。だから、「ソフトな共産主義」に共感する人は、少なくとも会社に対する強い規制・高い税金という点では、日本政府の路線を支持していることになる。それでも足りず、さらに規制を強め、税金を高くすべきだという人までいる。
この「ソフトな共産主義」=日本政府路線こそが、いまの日本の問題を生み出している、というのが私の考えだ。
「職を失っただけでホームレスになる」という問題を解決するために、「会社に社員を解雇させないように規制する」というのは、まったく逆効果だ。なぜならば、解雇規制こそが、職業の「身分制度」を支えているからだ。
絶対に解雇がない公務員と、解雇がむずかしい大企業の社員が、「身分制度」の頂点に君臨している。解雇規制がある限り、この「身分制度」は崩れないのだ。
その「身分制度」における「階位」が、「与信」の格付けになる。それを根拠として、住宅を借りたり買ったりできるかどうかが決まるのだ。
「身分制度」とは、つねにアンフェアなものだ。実力や努力で決まるのではなく、いったん身分を手に入れれば、それだけで安泰というのが身分制度だ。
身分で決まってしまうのであれば、身分が上の者は努力しなくなる。努力する必要がないからだ。そして、身分が下の者も努力しなくなる。努力しても報われないからだ。こうして、誰も努力しなくなり、価値を生み出す人間がいなくなる。
派遣や失業などの雇用問題と、ネットカフェ難民やホームレスという住宅問題、その共通の根にあるのが、この「身分制度」による「与信」という構造なのだ。
この「身分制度」による「与信」という構造が、個人の生活、仕事への意欲といったミクロレベルから、産業構造、経済成長といったマクロレベルにいたるまで、すべてに悪影響を及ぼしている。その構造を支えているのが、解雇規制なのだ。
つまり、「職を失っただけでホームレスになる」という構造を作り出しているのは、皮肉なことに、「会社に社員を解雇させないように規制する」という考え方なのだ。
日本人というのは、自由や市場というものをどこか信じておらず、むしろ規制のほうを信じているようなところがある。「天につばを吐く」という言葉があるが、日本がうまくいかなくなっているのは、自由や市場を大切にせず、そこにつばを吐いているからだという気がする。
関連エントリ:
「雇用を守れ」という声が、日本の「労働者カースト構造」を強化している
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経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス
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