2009.03.14
政治家と官僚と国民はジャンケンの関係
開け電網政治の時代」という面白いサイトを見つけた。

開け電網政治の時代
http://www.hirake.org/

政治への参加・意識向上を訴えるという趣旨のサイトらしい。フレーム・テーブル使いまくりの10年くらい前のセンスで、サイトの構成やナビゲーションがわかりにくいのが難点だが、内容は実にまっとうで、どこを読んでもわかりやすく、見識の高さを感じさせる。

例えば、このページはすごくいいことが書いてある。

「政治家はみんなダメだから投票しない」、そう思っているあなた!あなたは奴等の思う壺にはまってます。
http://www.hirake.org/mukan/conept/power/concept.htm

全体としてわかりやすい説明だが、ここにある「政治家と官僚と国民はジャンケンの関係」というメタファーは素晴らしい。

<官僚(チョキ)は国民(パー)から税を徴収する。
 国民(パー)は政治家(グー)を落選させられるが官僚や公務員(チョキ)を免職する権限はない。
 でも政治家(グー)は官僚(チョキ)を罷免できる。
 国民(パー)が政治家(グー)を味方にしたとき、国民(パー)が官僚(チョキ)に勝てます。
 でも現実には国民(パー)と政治家(グー)は協力しあっていません。「政治家はすべて悪い奴」というマスコミの定型記事に洗脳されて、国民(パー)は政治家(グー)を嫌ってます。
 国民(パー)が政治家(グー)を叩き潰すので、官僚(チョキ)は無敵です。
 国民(パー)が官僚(チョキ)に勝つには、国民(パー)の味方となる市民派政治家をたくさん当選させることです>。

つまり、国民が政治に失望し、興味を失えば失うほど、官僚は最強になり、国民は損するのだ、と。

このメカニズムの具体的な説明が、「権力トーナメント」として解説されている。



<政治家は選挙で争う。
 利権団体に所属する市民は選挙で利権派政治家に投票します。
 一般市民は誰に投票したらよいかわかりませんが、一般市民のそれなりの感覚で投票します。
 そして政治家は選挙で勝った政党が与党となる。
 勝った与党は、次は官僚と戦います。 官僚と意見調整が必要。
 官僚の言いなりにならず、政治家本位の法案を作ることは、政治家と官僚の戦いです。
 さて優勝者は誰か?>

続きはぜひサイトを読んでみてほしい。じつに説得力のある説明で、感嘆させられた。

<結局、投票率が下がって政治家の基盤が脆弱化すると、最後に勝利するのは官僚。
この官僚とマスコミがグルだったら?>

「官僚とマスコミがグル」という見方は、あまり強くすると陰謀論みたいになるけれども、くだらないことで政治家を叩いてばかりのマスコミが、結果として官僚を利するかたちになっていることは間違いない。

このサイトはかなり昔からあるようだが、まさにいまの日本政治の状況にドンピシャだと思える指摘が多い。サイトの作りは古くても、内容的には実に「タイムリー」なサイトになっていると思う。

このサイトとまったく同じようなことを、異色の政治家田村耕太郎参議院議員が最近書いていた。

参議院議員 田村耕太郎 公式ブログ - 喜ぶのは霞ヶ関
http://kotarotamura.net/b/blog/?itemid=4192

<政治が大きく信頼を失っている。政治家は大いに反省すべきである。国民は政治に失望し、怒りを通り越して無視を決め込むかもしれない。しかし、日本政治は国民の選択でできあがったもので等身大の鏡である。怒ったり無視するだけでは何も変わらない>。

<この泥仕合の中、政治の信用を失墜し、唯一喜んでいるのが一部の官僚たちである。政治を無視してこれ以上の機能不全を助長すれば、利を得るのは官僚たちなのだ>。

<昨今の公務員制度改革等で、民主主義を無視して、政令という形で勝手に自分たちでルールを作っている官僚たちが、政治や民主主義をますます軽視して暴走しかねない>。

<官僚には選挙がない。民間との交流がますます細っているので、空気がさらに読めなくなっている。今の経済大変動の世の中に効果的な法律や予算を作ることなんて出来ない。国民の声なんて届かない!>

その通りだと思う。官僚1人1人を見れば、きっと優秀で真面目な人が多いのだと思うが、官僚・役所の「システム」としては、自己の利益・権力を拡大する方向に動くというのは宿命だ。官僚の権益が拡大すればするほど、税金は高くなり、規制も強くなって、国民はますます苦しくなる。

官僚に限らず、人間は誰しも自己利益のために動く。これは人間の宿命だが、互いに同等な人間が、それぞれ自己利益のために動いているならば何も問題はない(「市場」はこれで成り立っている)。しかし政府の場合、税金や規制という「強制力」を持っている。この「強制力」が国民のためではなく、一部の人間の自己利益のために使われていることが問題なのだ。

「政治家と官僚と国民はジャンケンの関係」の説明通り、この「強制力」というのは、元はといえば国民が政治家に与えたものだ。このプロセスで正しい政治家を選んでいないがゆえに、「強制力」が一部の人間の利益のために行使され、そのツケを国民全体で払うというシステムが出来上がってしまっている。

だから私たち国民は、政治への関心を失うべきではないし、マスコミ報道などに左右されず、「正しい政治家を選ぶ」という意志をしっかり持つ必要がある。「正しい政治家を選ぶ」ためには、良い政治とはどういうものなのか、自分なりの見解を持っている必要がある(ちなみに私のスタンスは、「強制力」自体を極力なくすべき、というもの)。

いまはネットやブログがあるので、発信手段も判断材料も増えて、マスコミ報道も批判的に見ることができるようになった。田村耕太郎議員のように政治家自身がブログを書く例も増え、マスコミを通さずに本人の肉声を直接読むこともできる。

私たちは投票に行くだけでなく、ネットの上で読んだり書いたりすることで、政治を自分たちの手で変えていける時代になったのだ。「「若者が天下国家を論じる時代」が戻ってきた」で書いたように、政治について意見を発信する若者は増えてきていると思う。この傾向がさらに拡大して、国民の意見発信力がより高まっていけば、政治はきっと動く。マスコミももっと中身のある、国民が欲しているものになっていくだろう。