2009.05.06
「下流大学」はなぜ必要とされるのか
J-CASTニュース - 大学進学率は20%でいい  「下流大学」に税金投入価値なし
(連載「大学崩壊」第3回/消費社会研究家の三浦展さんに聞く)
http://www.j-cast.com/2009/05/04040502.html

<子どもの数は減っているのに大学の数や定員総数は増えている。そんな逆転現象が続いている。行き先を選ばなければ全員が大学に入ることができる、全入時代が目前だが、税金が投入される大学は、そんなにたくさん必要なのだろうか。「下流大学が日本を滅ぼす!」(ベスト新書)の著者で消費社会研究家の三浦展さんに問題点を聞いた>。

「下流大学」について、『下流社会』などの著書で知られる三浦展にインタビューした記事。これは面白い。

ウィキペディア - 三浦展
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%B1%95

<三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、新潟県出身のマーケティング・リサーチャー(著作では「マーケティング・アナリスト」と自称)、消費社会研究家、評論家。マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役を務める>。

<現在、マーケティング調査、商品企画などを行うほか、家族、都市問題を独自の視点で捉え、デフレ商品の代表である新書『下流社会-新たな階層集団の出現-』(光文社新書)(80万部のベストセラー)や『ファスト風土化する日本』などの本を出版している>。

三浦氏は個人的にも好きな論者だ。三浦氏はいつも「あけすけ」に書くし、テーマも「下流」なので議論を呼びやすいが、素晴らしい仕事をしていると思う。マーケティングや消費者分析に留まらない、「実践的な社会学者」とも言うべき成果を出しているのではないか。

このJ-CASTのインタビューでは、「下流大学」をテーマに語り、<大学進学率は20%ぐらいでいい>としている。

<(大学は)明らかに多すぎます。勉強しなくても大学に入れる状況なので、学力のない学生を量産しています。親の学費負担などで社会の活力を奪っている面もあります。一定の学力のある学生だけ入学させるようにして、それで大学が半分つぶれてもいいと私は思います。そうでないと、大学行政は、不要な高速道路を大量に造って国民の借金を増やしてきた、あの悪名高い道路行政と同じではないでしょうか>。

<大学進学率は20%ぐらいでいい。現状では、学生に足し算、かけ算などの百ます計算をさせている大学もあるそうです。また、中学生と高校生に同じ問題を解かせたところ、中学生の方が成績が良かったという調査もあります。中学で習った基本的なことを高校になって忘れているわけです。そして大学でさらに忘れる。小中学校で習った読み書きそろばんの復習を大学でしているようでは、とてもそんな大学に税金を投入する価値があるとは思えません。若者にとっても高校から大学までの7年間は時間の無駄です。もっと他に若者を鍛えたり、技術を学んだりできるやり方を考えるべきです>。

<現状では、意欲のない甘えた若者が大学を卒業しても、職につけていません。たとえ就職できても長続きしない。大学に行くことは、単に親へ依存する期間を延ばし、変なプライドを強くさせ、自立する機会を奪っているだけでしょう。料理人になりたいとか、ネイリストになりたいとか、少しでも興味ある仕事があれば、その技術を学ぶ道に早く入る方が、若者にとっても楽しいと思います>。

あいかわらず「あけすけ」で面白いし、主張の基本的な部分については私も同感だ。<学生に足し算、かけ算などの百ます計算をさせている大学もある>というのは知らなかった。

しかし、すべての論点に賛成できるわけではない。税金の投入をやめるべき、という点はその通りだと思うのだが、<大学進学率は20%ぐらいでいい>かどうか、これは誰かが決めるべき話ではない。

大学は、はっきりいって「商売」だ。そう言うと、神聖なる大学教育を「商売」とは何ごとかと怒る人がいるかもしれないが、「商売」にもいろいろある。

例えば、本を出版することも「商売」だが、本の出版には教育という側面もある。「商売」にもいろいろあるのであって、大学というのは本の出版などと同様、「まあまあ品のいい商売」ということだ。

大学は「商売」なのだから、大学をやる側と、大学にカネを払う側が合意していれば、その大学には存在価値がある。<学生に足し算、かけ算などの百ます計算をさせている大学>はたしかに情けないが、だとしても、そこに行く学生や親がそれを必要としているなら、存在価値がある。

大学の「商売」という側面については、三浦氏もインタビュー中でこう語っている。

<(学生のレベル低下を)ゆとり教育のせいにするのは議論のすり替えで、悪いのは大学側の姿勢です。出来が悪い学生がイヤなら入学させなければいいだけの話です。大学から見て学生の質が下がったように見えるのは、定員割れを避けるためにそうした学生を入学させているからです>。

<定員や入学者を減らせば大学の経営が苦しくなるとか、教授たちの食い扶持が減るとか、そんな理由で自分たちの保身を優先しておきながら、「ゆとり教育でバカが増えて困る」と大学関係者が嘆いてみせても説得力はありません。しかも彼らは、学力不足の学生が増えている実態をあまり発信しようとはしません。自分たちが批判されることを恐れているからです>。

大学は「商売」だから、レベルの低い学生であっても入学させないと、いまや存続できないのだ。だから、末端の大学は<学生に足し算、かけ算などの百ます計算>ということになる。「高学歴ワーキングプア」問題なども、大学が自らの生き残りのために、大学院生を増やしすぎたのが原因だと言われている。

この「大学が多すぎる問題」を解決するには、何よりもまず、「税金の投入をやめる」ことだ。私は国立大学でさえ、税金の投入をやめるべきだと思っているくらいで、私立大学はなおのこと、税金を投入すべきでない。この点では、三浦氏の指摘にまったく同感だ。

税金の投入をやめれば、大学はある程度は淘汰されるだろう。しかしそれでも、存在意義の薄い「下流大学」は残りそうだ。

あとは商売だから、自然に任せればいいとも言えるが、「なぜそこまでして大学の学歴を欲しがるのか」という問題が残る。これは結局のところ、世間の「学歴幻想」が以前よりは薄まったとはいえ、採用する企業が学歴を見るという現実があるからだろう。

なぜ、採用する企業が学歴を見るのか。もちろん、できるだけ優秀な人材が欲しいからだが、学歴が高ければ優秀とも限らない。企業の採用基準が、学歴という属性に依存せざるをえないのは、やはりこの問題があるからなのだ。

終身雇用は採用時の属性差別を強める
http://mojix.org/2009/01/30/shuushinkoyou_sabetsu

<日本では企業が終身雇用を強制されてしまっているので、採用を失敗すれば、その社員の定年まで莫大なコストを背負うことになる。「失敗が許されない」わけだ。だから、採用において職歴・学歴・男女・年齢といった属性による差別、「統計的差別」が強まってしまう。
 これにより、職歴・学歴・男女・年齢といった属性で不利な人は、どんなに有能であっても、採用されにくくなる>。

解雇規制による労働の固定化が、企業の採用基準における「学歴依存」を生み、それが世間の「学歴幻想」になって、とにかく「大学」の学歴が欲しい、ということになるのだ。

今回のインタビューの冒頭で、三浦氏は<親の学費負担などで社会の活力を奪っている面もあります>と言っているが、それがまさにこれだ。<学生に足し算、かけ算などの百ます計算をさせている>ような大学には、大学の意味がないことを皆わかっているのに、それが必要とされてしまう。

三浦氏が言っている通り、中身のない大学に通うくらいなら、中身のある専門学校などに行ったほうがよっぽどマシだ。しかしそれでも、「大学」の肩書きを欲しがる学生・親がいなくならないのは、社会が暗黙のうちにそれを要請するからだ。これも、解雇規制による労働の固定化が招いた「社会コスト」のひとつだと思う。


関連エントリ:
すべての大学は民営化すべきだ
http://mojix.org/2009/03/31/univ_priv
税金を使わずに高等教育を無料化できないか
http://mojix.org/2008/05/21/free_higher_edu