「保護」はシステムを弱体化させ、自立する力を失わせる
J-CASTニュース - 運用の基本は「安全運転」 大学は「投機」やめるべきだ
(連載「大学崩壊」第4回/「早稲田のゴーン」關昭太郎さんに聞く)
http://www.j-cast.com/2009/05/05040475.html
<少子化が進み定員割れの大学が続出するなか、どこも厳しい経営環境におかれている。2009年には、運用益を当て込んで運用をしていた金融派生商品によって、多額の損失を出す大学も相次いだ。「早稲田のゴーン」の別名でも知られ、早大財務担当理事や副総長として12年間にわたって同大の経営立て直しを進めた關昭太郎さんに、大学経営のあり方について聞いた>。
昨日とりあげた三浦展インタビューにつづく、連載「大学崩壊」の第4回。これも面白い。J-CAST、最近いい仕事をしている。
記事の全体にわたって面白いが、いまの大学の問題を要約した次の部分などは、特にいい。
<18才人口の減少は大学をどう変えるのか、学校産業界は答えを出していない。大学経営は新次元に入ったのです。入学定員に満たない大学が42%超。これが現状です。受験者が減少していくと、学校経営が難しくなるのは当たり前。同時に、社会も衰退していきます。大学も同時につぶれていくような社会環境におかれていることを理解する必要があります。問題なのは、マネジメントの考え方が欠落していること。2つめは、「護送船団方式」と既得権益の上にあぐらをかいていること。その結果守られたのは、教職員のポストと給料です。で、金属疲労とでもいうべき事態が起きてしまっているんです>。
こう述べた上で、誰にどのくらい責任があるのかを、次の3つにまとめている。
1. 40%は文科省の責任。大学全体の見取り図を描いていない
2. 45%は、学校法人の責任。経営感覚がない人が、責任逃れ体制のまま、経営にあたっている
3. 15%は、見て見ぬふりをしている利害関係者、ステークホルダー
この原因分析と「責任配分」は、かなり納得できる感じがする。
このインタビューを読んで、大学は自治体と似ていると思った。「経営」の感覚に欠け、補助金(=税金)を欲しがる甘えた体質だという点が似ている。
大学と自治体の共通点は、ある程度「公的」な存在であり、一般の民間会社の「商売」とは異なる存在だというところだろう。こういう「公的」な組織では、「経営」という観点が軽視されてしまい、「公的」なんだから補助金(=税金)をもらっても当然だし、採算が取れなくても仕方がない、というふうになりがちだ。生み出している価値と、かかっているコストのバランスを考えなくなるのだ。
「経営」の力というのは、生物で言えば「生き残り」の能力だ。補助金(=税金)をもらうことが習慣化すると、システムがそれを前提にしてしまい、自力で「生き残る」能力が失われてしまう。
「保護」の対象となるシステムが、大学や自治体などの組織であっても、人間であっても、それは同じだ。「保護」はシステムを弱体化させ、自立する力を失わせる。
組織でも人間でも、「保護」されれば、「生存競争」にさらされなくなるから、受け取っている価値に見合った生産をしなくなる。これがフリーライドやモラルハザードを生む。このとき「保護」される組織や人間が「受け取っている価値」というのは補助金であり、税金だから、それを払わされるのは国民だ。
日本は税金が高いわりに、国民に還元されていないのは、その税金がこの種の「保護」にたくさん消えているからだ。「国民の役に立つ」と称しながら、生んでいる価値以上に税金をムダ使いしている「公的」な存在が、たくさんある。いわば「公共の押し売り」であり、これこそ「パターナリズム」なのだ。ほんとうに「国民の役に立つ」ことは、すべての「保護」をやめてそのぶん減税すること、それ以外にない。
それにしても、この「早稲田のゴーン」こと關昭太郎(せき・しょうたろう)さん、<1929年東京生まれ>ということは、80歳ですよ!?これだけの高い見識を持ち、明晰な受け答えができる80歳って、カッコよすぎる。やはり人間、年齢じゃなくて、どう生きてきたかという「個体差」が大きいことをあらためて感じる。
関連エントリ:
問題を「解消」するという発想 なぜ政府を小さくすべきなのか
http://mojix.org/2009/04/13/mondai_kaishou
日本の賃貸住宅ではなぜ保証人を要求されるのか 「保護」がむしろ「弱者」を生む日本の構造
http://mojix.org/2009/04/02/chintai_hoshounin
すべての大学は民営化すべきだ
http://mojix.org/2009/03/31/univ_priv
小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」
http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society
(連載「大学崩壊」第4回/「早稲田のゴーン」關昭太郎さんに聞く)
http://www.j-cast.com/2009/05/05040475.html
<少子化が進み定員割れの大学が続出するなか、どこも厳しい経営環境におかれている。2009年には、運用益を当て込んで運用をしていた金融派生商品によって、多額の損失を出す大学も相次いだ。「早稲田のゴーン」の別名でも知られ、早大財務担当理事や副総長として12年間にわたって同大の経営立て直しを進めた關昭太郎さんに、大学経営のあり方について聞いた>。
昨日とりあげた三浦展インタビューにつづく、連載「大学崩壊」の第4回。これも面白い。J-CAST、最近いい仕事をしている。
記事の全体にわたって面白いが、いまの大学の問題を要約した次の部分などは、特にいい。
<18才人口の減少は大学をどう変えるのか、学校産業界は答えを出していない。大学経営は新次元に入ったのです。入学定員に満たない大学が42%超。これが現状です。受験者が減少していくと、学校経営が難しくなるのは当たり前。同時に、社会も衰退していきます。大学も同時につぶれていくような社会環境におかれていることを理解する必要があります。問題なのは、マネジメントの考え方が欠落していること。2つめは、「護送船団方式」と既得権益の上にあぐらをかいていること。その結果守られたのは、教職員のポストと給料です。で、金属疲労とでもいうべき事態が起きてしまっているんです>。
こう述べた上で、誰にどのくらい責任があるのかを、次の3つにまとめている。
1. 40%は文科省の責任。大学全体の見取り図を描いていない
2. 45%は、学校法人の責任。経営感覚がない人が、責任逃れ体制のまま、経営にあたっている
3. 15%は、見て見ぬふりをしている利害関係者、ステークホルダー
この原因分析と「責任配分」は、かなり納得できる感じがする。
このインタビューを読んで、大学は自治体と似ていると思った。「経営」の感覚に欠け、補助金(=税金)を欲しがる甘えた体質だという点が似ている。
大学と自治体の共通点は、ある程度「公的」な存在であり、一般の民間会社の「商売」とは異なる存在だというところだろう。こういう「公的」な組織では、「経営」という観点が軽視されてしまい、「公的」なんだから補助金(=税金)をもらっても当然だし、採算が取れなくても仕方がない、というふうになりがちだ。生み出している価値と、かかっているコストのバランスを考えなくなるのだ。
「経営」の力というのは、生物で言えば「生き残り」の能力だ。補助金(=税金)をもらうことが習慣化すると、システムがそれを前提にしてしまい、自力で「生き残る」能力が失われてしまう。
「保護」の対象となるシステムが、大学や自治体などの組織であっても、人間であっても、それは同じだ。「保護」はシステムを弱体化させ、自立する力を失わせる。
組織でも人間でも、「保護」されれば、「生存競争」にさらされなくなるから、受け取っている価値に見合った生産をしなくなる。これがフリーライドやモラルハザードを生む。このとき「保護」される組織や人間が「受け取っている価値」というのは補助金であり、税金だから、それを払わされるのは国民だ。
日本は税金が高いわりに、国民に還元されていないのは、その税金がこの種の「保護」にたくさん消えているからだ。「国民の役に立つ」と称しながら、生んでいる価値以上に税金をムダ使いしている「公的」な存在が、たくさんある。いわば「公共の押し売り」であり、これこそ「パターナリズム」なのだ。ほんとうに「国民の役に立つ」ことは、すべての「保護」をやめてそのぶん減税すること、それ以外にない。
それにしても、この「早稲田のゴーン」こと關昭太郎(せき・しょうたろう)さん、<1929年東京生まれ>ということは、80歳ですよ!?これだけの高い見識を持ち、明晰な受け答えができる80歳って、カッコよすぎる。やはり人間、年齢じゃなくて、どう生きてきたかという「個体差」が大きいことをあらためて感じる。
関連エントリ:
問題を「解消」するという発想 なぜ政府を小さくすべきなのか
http://mojix.org/2009/04/13/mondai_kaishou
日本の賃貸住宅ではなぜ保証人を要求されるのか 「保護」がむしろ「弱者」を生む日本の構造
http://mojix.org/2009/04/02/chintai_hoshounin
すべての大学は民営化すべきだ
http://mojix.org/2009/03/31/univ_priv
小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」
http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society