2009.04.13
問題を「解消」するという発想 なぜ政府を小さくすべきなのか
いまの日本に求められているのは、問題を「解決」するというよりも、「解消」するという発想ではないか。

政府の打ち出す施策というのはすべて、何かを「する」という足し算的な発想に貫かれている。自分の仕事を増やし、予算と権限を増やしたいからだ。だから、規制がどんどん増えて、税金もどんどん高くなる。

景気対策など、その典型だろう。規制を増やし、税金を高くして、民間をさんざん痛めつけておいて、景気が悪くなったら、その税金を使ってバラマキするのだ(そのバラマキの配分も恣意的で、あまり有効でない)。

むしろ、何かを「しない」、何かを「やめる」という引き算的な発想が求められているのだ。政府の仕事を減らして、規制も減らし、税金も減らす。

「政府が税金を集めて、政府がやる」というのが多すぎる。国民の多様なニーズを政府はすべて把握し、計画し、遂行できると思っているのだろうか。政府が頑張れば頑張るほど、余計な介入をすればするほど、日本は計画経済に近づいていき、民間の力は減退していくのだ。

むしろ、税金を限りなく安くして、「国民が自分で、必要な人だけがサービスを買う」という方向に切り替えるべきなのだ。政府は仕事を減らし、「公共」も民間企業やNPOにやってもらえばいい

なんでもかんでも政府や自治体がやるのではなく、もっと分権化して、自分たちに必要なことはなるべく自分たちでやってもらったほうがいいのだ。人間は決して「何もしたくない」のではなく、「やりがいのあること」を求めている。政府がもっと国民に「任せる」ことで、政府は小さく、軽くなり、国民も「やりがい」が得られるはずだ。

日本は国民主権だから、政府は国民の下僕であり、エージェントであるはずだ。その政府が税金をムダ使いして、デタラメな仕事をしている。より正確に言えば、「マジメに働いている」人が大半だとしても、基本的な制度設計(グランドデザイン)が間違っているために、仕事の大半が「無意味」なのだ。政府は本来、国民に奉仕しなければならないのに、自らの権限と予算を拡大することが自己目的化している。それによって税金が高くなり、規制も強くなって、苦しむのは国民だ。いまの日本政府は国民に奉仕するどころか、むしろ国民を苦しめている。

しかしこれは日本だけの問題ではなく、政府というものが自己の存続・拡大を目的化してしまうことは、多かれ少なかれ、政府というメカニズムの宿命なのだ。政府には市場原理が働かず、「競争」がないから、サービスの品質や価格を維持するとか、依頼主(国民)との約束を守るといったインセンティブが存在しない。まさに「野放し」状態であり、いくらデタラメな仕事をしていても、市場から退出させられないのだ。

だから、政府はできるだけ小さくして、国民=民間ができるだけ自分でやるようにしたほうがいいのだ。


関連エントリ:
ハローワークがマッチングをやる必要があるのか?
http://mojix.org/2009/03/02/hellowork_matching
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http://mojix.org/2008/11/30/minkan_koukyou
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http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society