2009.03.02
ハローワークがマッチングをやる必要があるのか?
asahi.com - ハローワーク職員走る 新規求人掘り起こしに必死(2009年3月1日11時49分)
http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200902270163_01.html

<ハローワークの職員が職を求めて街を歩き、新規求人の掘り起こしをしている。昨秋からの不況で失業者が急増しているが、求人がぱたりとやんでいるためだ。求人状況の悪化がさらに進むなか、現場の試みも思うようには実を結んでいない>。 

<2月半ば、人通りもまばらな街を、棚沢昭さん(68)は軽自動車を走らせていた。
 群馬県太田市にあるハローワーク太田の個別求人開拓推進員。本来の仕事は、特別な事情や技能を持った人に合った求人を探すことだが、昨秋以降、一般求職者の新規求人の開拓にも力を入れている>。

求人があるかどうかもわからない(たぶんない)ところに、ハローワークの職員が、求人情報を求めて走り回っているらしい。

まるで、買う気がない人のところに個別訪問して歩いているセールスマンみたいだ。なぜこんなことを、税金を使って、ハローワークの職員にやらせる必要があるのか?

求人者(会社)と求職者(労働者)のマッチングというのは、雇用契約という「市場取引」を促進することだ。市場取引は、お互いにメリットがあるからやるもので、基本的には放っておけば勝手に起きる。

スーパーやコンビニが店を出し、そこに食料や日用品などを並べて売れば、客は勝手に買いに来るし、欲しいと思えるものがあれば買っていく。そこには強制というものが一切なく、店と客はお互いに、自分にメリットがあると思うからそうしている。

労働市場であっても、仕組みは同じだ。求人している会社は、求人誌や求人サイト、学校の就職課、自社のホームページなどに求人情報を出すし、就職したい人は、そういう就職情報がありそうなところを探して、いいものがあれば応募する。採用試験などを経て、お互いに条件が合えば採用が決まる。

昔はネットもなかったし、求人情報誌なども少なかったから、ハローワーク(昔は「職安」)のような公共の機関がマッチングをやることにも、多少意味があったかもしれない。しかし今どき、冒頭の記事にあるように、税金で雇われているハローワークの職員が、<人通りもまばらな街>に<軽自動車を走らせて>まで仕事を探すなんて、常人の理解を超えていると思う。むしろ、このハローワークの職員に、税金で仕事をあてがっているようにすら思えてくる。

求人誌や求人サイトといった「マッチングビジネス」が成立するのは、市場取引が成立すれば、取引する双方にメリットが生じるからだ。これによって、情報を掲載する「掲載料」や、取引成立時の「手数料」「仲介料」などの余地が生じる。これは求人だけでなく、不動産の売買や賃貸の取引、会社のM&A取引、株式の売買など、あらゆるマッチングに言える。

マッチングはビジネスになるのだから、放っておいても民間会社が参入してくる。行政はマッチングそのものをやる必要はないのであって、「市場のジャマをしない」「市場の応援をする」のが行政の役割だ。

特に労働市場の場合は、このブログで何度も書いてきた通り、解雇規制によって雇用流動性が抑えられており、市場としてマトモに機能していない。国が市場に介入して、市場のジャマをしているのだ。

市場に介入し、市場のジャマをして流動性を下げることに税金を使っておきながら、一方では冒頭の記事のハローワーク職員のように、個別訪問セールスマンみたいな空しいことに税金を使っているわけだ。日本とはなんて不条理な国なんだろう。

いわゆる「景気対策」なども、図式としてはほとんど同じだ。強い規制や高い税金でさんざん日本経済を損なっておきながら、経済が沈んだら、今度は税金で市場を回復させようとする。それもマトモな方法ならまだしも、その「景気対策」なるものはたいてい「あさって」の方向を向いた、裁量的で恣意的なものだ。

マッチングは、市場に「流動性」があれば、放っておけば勝手に起こるのだ。国は市場のジャマをしないこと、それだけで十分だ。


関連エントリ:
企業は「価値を生み出す装置」
http://mojix.org/2009/02/11/company_value_machine
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice