2009.04.25
政治家の世襲はまったく問題ない
asahi.com - 「努力してます」世襲の閣僚一斉反論 制限の動きに(2009年4月24日16時54分)
http://www.asahi.com/politics/update/0424/TKY200904240094.html

<自民、民主両党から国会議員の世襲を制限する動きが出ていることについて、24日の閣議後の記者会見で、閣僚から異論が相次いだ。親などの選挙区を引き継いでいる世襲議員は閣僚17人中10人。
 「ハマコー」で知られる浜田幸一・元衆院議員を親にもつ浜田防衛相は「二世だったら何でも投票してくれるのかと言ったら、そういうことではない。自分の努力がなければ当選はできない。(親と自分は)決して同じ人間ではない。やり方も違えば考え方も違う」と反論した>。

<祖父が故野田卯一元建設相の野田消費者行政担当相は「最近何か一つのことにワーッと行ってしまう風潮があって、今は国会議員でもとりわけ世襲は悪いイメージ。本当に健全なのか疑問を感じている」、父親が故小渕恵三元首相の小渕少子化担当相は「世襲というだけでいい悪いと決めていただくのは、ちょっと乱暴かなと思っている」と述べた。
 舛添厚生労働相は「看板や地盤が意味を持たない時代になってきている。そんなに日本の有権者を馬鹿にしちゃいけない。きちんと政治家の質をみて、判断してくれると思っている」と述べた>。

政治家の世襲は、まったく問題ないと思う。

こういう属性で制限をかけてしまおうとするのは、有権者はちゃんと政治の中身で判断することができない、という考え方が前提にある。有権者を馬鹿にしているのだ。

政治家の世襲を制約することは、有権者が政治家を選ぶ自由も制約することになるのだ。この話については、舛添厚生労働相の意見に私も賛成だ。

世襲に限らず、「何かを制限すれば、より良い結果になる」という発想自体に問題がある。これこそが、「規制脳」の中心をなす考え方だ。

一般に何かを制限すれば、自由な選択の可能性が減り、多様性も減るので、全体として弱体化して、アウトプットも減る。よって、何かを規制したほうがいい場合というのは、規制によるメリットのほうが大きい場合だけだ。

例えば官僚の天下りなどの場合、一般人がこれを阻止できないので、モラルハザードの温床になりやすい。そのモラルハザードは当然、国民の損失になるから、それ自体を禁止すべきだという議論には意味がある。

しかし政治家の場合、一般人が直接選ぶことができる。もし世襲の政治家に問題があるのなら、一般人がその政治の中身を判断して、落選させれば済むことだ。政治家は一般人が直接「クビ」にできるのだ。もしダメな世襲政治家が当選しつづけるのだとすれば、それは世襲が悪いのではなく、選んでいる有権者が愚かなだけだ。

もし世襲政治家に汚職などのルール違反があったら、その具体的な点において裁かれればいいのであって、世襲という属性自体が悪いのではない。有権者が愚かなのであれば、なぜその愚かさが生じるのかを考え、愚かさを減らすような策を考えればいいのであって、有権者の選択の自由を制約して済む問題ではない。

政治家の世襲を禁止するというのは、一種の身分差別だろう。中身や実力でなく、身分で差別したり、身分で制限をかけるような考え方には、私は一貫して反対する(例:職業の「身分制度」が支える日本の「与信」)。

日本に規制が多いのは、「一般人は愚かで、自分で判断できないから、あらかじめ自由を制約しよう」というこの種の考え方が強いからだ。「保護」の背後にはつねに、この考え方がある。このパターナリズム、「甘やかし」こそが、日本人をますます愚かにしている。

「保護」の中で育つ人間は、「保護」への依存を強め、「保護」がないと生きていけなくなる。この「保護」こそ、政府というものの正体だ。