2009.04.29
国民が世襲政治家を望んでいないなら、世襲政治家に投票しないはずだ
自民党の山内康一衆議院議員が、世襲を制限すべきという立場を打ち出している。

衆議院議員 山内康一 の「公募新人奮闘記」 - 世襲制限のバトル
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-5b6f.html

<このところ国会議員の世襲制限をめぐる議論が盛んです。
私は前々から世襲制限に賛成の立場を表明してきました。
党内では菅選対副委員長が、世襲制限を提唱して、
党内の大勢の大物議員からバッシングされています。
私は菅選対副委員長を支持します>。

<世襲議員が百人を超える現状は異常と言えます。
世襲議員の中にも優秀な議員はたくさんいますが、
優秀な人なら親の七光がなくても活躍できると思います。
親とは異なる選挙区から立候補すればいい話だと思います>。

私は山内氏の考えには賛成することが多く(「小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」」など)、信頼できる政治家だと思っている。

しかしこの世襲制限については、「政治家の世襲はまったく問題ない」で書いた通り、私は世襲を制限すべきでないと考えており、これには賛成できない。

<世襲議員が百人を超える現状は異常>というのはその通りだと思うのだが、その政治家を選んだのは国民なのだ。現状が異常ならば、国民の判断が異常なのではないか。

国会議員というのは、政治に関する国民の意思を代表する人間として、国民から選ばれた存在だ。その意味では、国会で何かが決議されたとすれば、それは「国民の意思」だということになる。

だから、もし今後、世襲を制限することが国会で決まったとすれば、それは「国民の意思」ということになる。しかしその場合、そもそもなぜ、世襲議員が大量に当選しているのか、というのが疑問だ。

もし「世襲はダメだ」というのが常識的な感覚で、国民が世襲政治家を望んでいないなら、そもそも世襲政治家に投票しないはずだ。いくら地盤やカンバンを受け継いでいても、それがむしろ「ハンディ」になったり、「ダーティ」なイメージになったりして、フレッシュな新人のほうが逆に有利になるのではないか。

この世襲問題にしても、私がよく書いている解雇規制などの問題にしても、政治的な論点に関する私の判断はつねに、「自由か、強制か」というところに最大のポイントがある(私は自由主義者なので)。

政治家は、国民が「自由」に任命できる。任命した政治家が、国民の意思の代表者として期待に応えられなければ、選挙で落とすことで「クビ」にできる。「政治は国民を映す鏡」といった言葉があったと思うが、これはまさに、その国の政治家は国民が選んだものだという意味で、まったくその通りだと思う。

これに対して、行政府としての政府、官僚や公務員は、どんなにデタラメなことをしたり、税金のムダ使いをしていても、国民が直接クビにすることができない(「政治家と官僚と国民はジャンケンの関係」)。ここが政治家との最大の違いだ。

政治家にしても、官僚・公務員にしても、会社の社員にしても、何かを任されたエージェントが、依頼主の期待に応えられなかったら、責任を取ったり、クビになるのが当然だと思う。しかし日本では、このうちクビにできるのは、驚くべきことに政治家だけなのだ。官僚・公務員も、会社の社員も、働きが悪いというだけではクビにできない。だからフリーライドやモラルハザードが起きやすいし、マトモにやる人間がその割を食う。「弱者保護」の名を借りた市場介入、その制度設計の間違いが、インセンティブの崩壊を引き起こしているのだ。

私は政治家というものをさほど信頼していないし、ロクでもない政治家も少なからずいると思っている。しかし、働きが悪ければつねに「クビ」になる可能性があり、その緊張感のなかで仕事をしているという点では、少なくとも公正(フェア)な立場でやっていると思うのだ。ましてや、その政治家を選ぶのは国民だ。政治家がロクでもないとすれば、その責任の一端は、そのロクでもない政治家を選んだ国民にもある。

世襲の政治家を選ぶか、世襲でない政治家を選ぶか、国民にはそれを自ら選択する「自由」があるべきだ。その選択が愚かな判断になる可能性があるとしても、世襲制限という「強制」によって、その選択の「自由」を最初から奪うべきではない。

この世襲問題は、いまの日本が抱えるさまざまな問題に比べれば、さほど大きな問題ではないかもしれない。しかし、世襲を規制すべきという考え方を支えているのは、あらかじめ世襲政治家を選ばせないようにするという「パターナリズム」であり、このパターナリズムこそ、日本のあらゆる問題を生じさせている考え方そのものなのだ。だから、私はこの問題にもこだわっている。

世襲を規制することは、ネットの薬販売を規制することや、こんにゃくゼリーを規制することと、根本的には変わらない。いずれも、「間違いを犯さないように、あらかじめ選択肢を封じる」というものであって、これこそパターナリズムなのだ。


関連:
衆議院議員 山内康一 の「公募新人奮闘記」 - 世襲制限のバトル
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-5b6f.html
雑種路線でいこう - 世襲の法的規制は不要だが 政治資金の継承には課税すべき
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20090426/hereditary
YOMIURI ONLINE - 「世襲」衆院選の争点に急浮上
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090426-OYT1T00425.htm

関連エントリ:
政治家の世襲はまったく問題ない
http://mojix.org/2009/04/25/seijika_seshuu